9つの立国構想

CMF対談


   夢対談 時代の曲がり角


世界の歴史からみる日本の問題
木原

私は日本文明・文化を縄文時代から遡って研究しておりますが、中條先生は、世界の歴史の造詣も深く、歴史から現状を紐解かれますね。戦後の日本をどう捉えておられますか?


中條

今の自分のいる環境で歴史を読むのは不誠実で、限りなくその事が起きた時に立場を置き直して、歴史を見る誠実さを、求められてるんですね。


夢対談 時代の曲がり角

日本人は戦争が好きだという人もいますが、さにあらずです。


江戸の265年間は、泰平の世の中でしたが、約500年間白色人種の国々が、肌に色の付いた民族の国々を植民地化してきた、その波が刻々と日本に迫って来ていたという現実。そして、北から強大なロシアが、不凍港を求めた南下策のエネルギーを、鎖国をしながらもすでに感じていたと思います。


この2つが重なって追い詰められた、それが1853年のペリーの来航です。


しかし、明治維新を迎え、貧しく資源もない国が、有色人種唯一と言っていい、近代明治国家を作り上げました。


明治37年(1904年)の日露戦争は、白色人種達が有色人種の国々を植民地化して来た、最終決戦と言えるでしょう。世界の約6分の1の陸地を持ち、当時盛んに世界一の陸軍と言っていたロシアに、小国日本は勝利したのです。


木原

当時は、地球の84%を欧米が植民地化していましたね。有色人種として初めて国際連盟に参加し、人種差別撤廃条項を提案したのは日本です。


明治政府が「富国強兵」を打ち出したのも、欧米の列強があればこそです。


中條

私が生まれたのは、日露戦争から22年目(昭和2年)で、まだ弾丸の硝煙が、漂っているような風情でした。


夢対談 時代の曲がり角

しかしながら、英米と行った第一次世界大戦(1914年~)を経てなお、昭和18年(1943年)に、私が入った軍隊の指揮官を養成する陸士官学校の第一外国語はロシア語でしたから、如何に日本民族が、北からの脅威におののいていたか理解できると思います。


戦後、日本はアジアを侵略した国と言われていますが、では、欧米やアメリカが永い歴史の中で何をしてきたのか。アメリカの州になっているハワイやカリフォルニアなども、元は奪い取った国や地域です。


朝鮮や中国も歴史認識とよく言ってきますが、では元の時代2度の元寇との戦いで、日本人は多くの犠牲者を出しました。730年ほど前ですが、その認識を聞きたいですよ。


その時の執権北条時宗は、敵味方両方の犠牲者を祀るため無学祖元という有名な僧を南宋(中国)からお呼びし、その時に慰霊のために建立されたのが、鎌倉の円覚寺です。今は本当に歴史を教えなくなりましたが、これこそ生きた歴史の教訓と言えるでしょう。


次回へ続く



アサヒビール㈱名誉顧問 中條髙德