9つの立国構想

CMF対談


   夢対談 時代の曲がり角


戦後の混乱期に「生きる」ことを誓う
木原

本日は、お忙しいところ本当にありがとうございます。


経済界・産業界で長年ご活躍の中條先生ですが、現在86歳にして東奔西走しておられます。私は、国づくり人づくり運動をしている関係で、全国の方々とお会いしますが、必ず中條先生のお話が出てきます。そこまで出来る原動力とは何かからお尋ねしたいと思います。


中條
夢対談 時代の曲がり角

そんなに難しい生き方をしているわけではなく、私はごく平凡な人間ですが、戦後の混乱期の体験があって今があります。


68年前、私は職業軍人で、少尉任官前の本科の生徒だった19歳の時に終戦を迎えました。その時、少尉に任官していた20代の先輩達が、戦争に負けた事を「死んで国民に詫びる」と。日本の戦前の女性も、こんなことで離婚をする筈がありませんから、「結婚した以上、あなたと運命を共にします」と。


先輩達は古式に則って、何人も割腹自殺をしていきました。腹を切ると8~9時間苦しむので、介添えが必要なのですが、それを新婚間もない妻に、首を切る代わりに、自分が持っているピストルでこめかみを撃たせるのです。そして介添えの役割を果たした妻も、自分でこめかみを打ち相果てる。


木原

残酷なことですね。


中條

20歳代といえど先輩の少尉はいわばプロ。私は学生だから半人前。だから「お前たち若者は死を急ぐな」「再建日本の為に命を懸けよ」と言って皆、果てたのです。


千葉県四街道では、職業軍人といえど余りの事だと彼らの死を悼み、市民が観音像を作ってくれました。今でも命日にはお参りしてくれています。


当時は私も、20代でお国の為に死んで逝くつもりでしたから「よし、死んだつもりで残りの人生を歩もう」と。


これが、今生きている哲学であり全てであり根本です。


木原

私も、色々な方にお会いしますが、先生のような胆識を持って実際に行動されている方は少ないです。


中條

私は田舎の素封家の息子で、6人兄弟の末っ子ですから、自分がいかに甘いかをよく分かっていました。


夢対談 時代の曲がり角

死んだつもりで生きるという覚悟はいいが自分の甘さで、「死んだ先輩たちを裏切ってはいけない」と、靖国神社のそばに住んで、朝6時には必ず毎日お参りを続けてきました。だから間違わなくて済んだのですね。


戦後、アサヒビールを含め立派でお金を持っていた会社は、占領政策でマッカーサーに分割されました。私は本当に無念で悔しかった。


もし、本来の私であったらとても指揮できなかったでしょう。しかし、死んだつもりになっていると強いのです。


現実が余りにも残酷な時は、天が私に刃向かって来るように感じましたが、さにあらずです。挫折が深刻であればあるほど、その傷が深ければ深いほど、天は恩寵的に試練をくださるのだと。


木原

だから中條先生に出逢われた方々は、先生を尊敬し感動されるのですね。


次回へ続く



アサヒビール㈱名誉顧問 中條髙德