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[文化づくり]国際文化交流の推進と援助

文化づくりコラム 

縄文文化 - 1万年も続いた多民族国家


1万年も続いた多民族国家

縄文時代の開始は諸説あるが、今から約1万6千年前から始まり約1万年以上続いたとされている。これほど永い期間、一つの時代が続いた歴史は世界にはない。


DNAの研究でも、現在地球上にいる人々の遺伝子を遡ると、全員が20万年前のアフリカ女性にたどり着くと言われている。また、アフリカから発した人類は、大きく3系統に分かれるそうだが、日本はその3系統が存在している珍しい地域と言われている。


高度な文明社会

1万年も続いた時代だから、気候も生活様式も、初期と後期では違ってくるが、最近の発掘調査では、高度な文明を持っていたことが分かってきた。


先にも述べたが、1500年もの間、同じ場所で生活が営まれる恵まれた環境があった。


手入れされた落葉広葉樹の林に囲まれた住居エリアには、数十戸単位が分散し、合計500戸余りの大集落が形成されていた。それが三内丸山遺跡だ。


住居の室内は、4~5人が住める広さで、中心には石組された火を燃やす所、天井は煙抜き用の開口があった。


既にこのころから飲料用の水場と、下水用の水場があり、共同作業を行うための土器製造所、食べ物を加工する場所。さらにゴミを捨てるための谷。大切な仲間の墓。道具の命の輪廻を祈った祭場としての盛土。


日本列島には暖流と寒流が流れ込み、豊かな漁場があり、星座を羅針盤にして漁場を開拓していたこともわかっている。それが6千年も前から始められていた。


日本人は雑食と言われ、世界一いろいろな種類の食料を食べてきた民族ということも分かっている。


気候が温暖で四季があり、海のもの山のものと非常に食材が豊かだった。この豊かさが素材を生かし複雑な味覚を生み、豊かな感性を育み、繊細な表現力を養い、日本人の精神性を創造していった。


持続可能な社会

現在の日本地図と同じ範囲で、1万年もの間に培われた、生きていくための知恵は、持続可能な社会の知恵そのものだ。この時代の知恵と精神性が、日本人の遺伝子のベースにはあり、それが文明・文化となって集大成したのが江戸時代と言える。


これからの日本を考える時に、日本人の源流に戻るとすれば、それこそが縄文時代であり、その持続可能なエネルギーの中に内包されているのは、宇宙の躍動そのものだ。



1500年間の持続可能社会の仕組み

優れた素材、加工技術、空間づくり、そして自然や神に捧げる祈り・・・
それぞれに目に見える形と、目に見えない形があり、それぞれの地域にそれぞれの形づくりの文化があった。


地域の交流もさかんに行われ、海から運河を引き込み船を発着させ、他の地域の産物を船で運び入れ、その原材料を加工して出荷する。


別の森から来て技術を教える人、学ぶ人、表敬訪問、里帰り、人々の交流は活発になされていた。


モノづくりの文化(情報)もまた、西に東に北に南に・・・伝えられ交換されながら、さらに優れたものを生み出すための切磋琢磨になる。


しかし、その形づくりは小さくもなく、必要以上に大きくもならず新陳代謝しながら、1500年もの間、持続し続けた。