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[企業づくり]宇宙本位経営学の普及と援助

企業づくりコラム

『滅私』を貫く 人のために尽くすことのみが喜び【若狭得治】

『若狭氏なくして会社の未来はない』
『ロッキード事件』というと、今でも多くの人が記憶にとどめている事件であろう。 この事件に関係したほとんどの政財界の要人達は、 ことごとく社会的制裁を受けた。 その中で、退陣どころか担ぎだされ辞めることができなかった人物、 それが昨年12月、91歳の生涯を閉じた若狭得治である。

同事件の悪役という世間のイメージとは裏腹に、社員の誰一人悪く言う人はなく、 全日空の当時の労組でさえ
『若狭氏なくして会社の未来はない』
と言い切っている。

「私生活が清潔」
「あんな優しい人はいない」
「私利私欲が全くない」
「人格的にケチのつけようがない」
「経営手腕が抜群」
「独特の人生観、哲学の持ち主」

事件が起こってもなお、絶大なる信望があり 『全日空の天皇』とまで言われた若狭への周囲からの評価である。 この事件に関しては、田中角栄を有罪にするだけが目的だったという説もあるほど、 今だに賛否両論あるが、ここでは、当時国民に人気のあった総理大臣経験者が逮捕されるという 衝撃的な事件の裏側を、見ていただければと思う。 審議が問われている間も、若狭氏は自分に課せられた役割を全うし、 業績を伸ばし、現在の全日空の基礎を築きあげた。 若狭という人物が作り上げた、この企業の強さは一体何なのだろうか。

今、世間を賑わしているライブドアとは全く逆に感じられる。 テレビ局の株や球団の買収、総選挙などで脚光を浴び、 知名度も好感度もあったにも関わらず、 突然の強制捜査からあっという間の社長逮捕。 翌日には、グループ企業は次々に
「我が社は事件とは無関係」
との広報文をメディアで公表。
「ライブドアの看板を外した方がいい」
「社長のやり方は間違っていた」
「他の会社に部署ごと買い取ってもらいたい」
などなど内部の声がマスコミから漏れてくる。 社長は辞任に追い込まれ、退職者が続出する中で、即刻新体制が引かれた。 堀江氏が築き上げた城は、1日にして崩れ去ってしまった。

これは決して人ごとではない。 もしも、今あなたの会社で、そのようなことが起こったら、どうなるだろうか。 社員たちは一人も例外なく、うちの社長は立派な人で、 この人なくして会社は成り立たない!と断言し、 それでも付いていくという社員を抱えている会社が、 今の日本にどれ位あるだろうか。

若狭の人生観
犯罪となれば、有ることないことが多々取りざたされることになる。 しかし、若狭のように、周りがどれだけ騒いでいようと、 内部では揺るぎない結束を持ち信頼をされ続けられる根底には、 大きく2つの事があったと言われている。

  • やれることはすぐにやろう、という積極経営
  • 当時、吹けば飛ぶような全日空が生き残るためには、社内の結束だけでも勝らねばという伝統的な日本的な家族主義的経営

もともと、逓信省(旧運輸省の前身)の事務次官まで務めた若狭が、 全日空に入ったのは、昭和41年に全日空がたて続けに起こした 2回の墜落事故がきっかけだったという。

開運畑を歩き、航空業界は全くの素人。 第2の人生も身体が弱いことを心配した夫人にせかされて、 しぶしぶ月給10万の「海事財団」に再就職した。 しかし、この身体の弱さが、若狭の人生観を培っていると言われている。 若狭は2度も大病をしている。

一度目は、高校入学と同時に腎臓を患った。 一年間寝たきりで医者からも見離された状態を救ったのは、父親の知人だった。 多忙な中、隣町から毎日同じ時間に訪れ枕元で、 お釈迦様や法然・日蓮などの話を繰り返す。
『病気で頭がボーっとなっていて、そんな説法は耳にはいるわけがない。 それでも毎日やってきて、最後には君は必ず生きられる、 仏様はけっして君を見殺しにはしないのだ、といって帰っていく。 今、思うとあの人こそ「生き仏」だったのではないか。』

その生き仏の念力が通じたのか、一年後に奇跡的な回復をする。 さらに、逓信省時代にも不治の病に倒れ、自宅で死を待ち続ける生活が続くが、 同僚が入手した貴重薬中の貴重薬によって、 発病から3年後、奇跡的な復活をはたすことになる。 医者も自分自身も諦めていた命を、人の手によって救われた。

『ぼくの欠点は情にもろいこと。とにかく人にものを頼まれたら断れないんです。 困っている人を黙って見過ごすなんて、そんな薄情なことはとてもできない。 自分のことなんて、もともと考えたこともないから、人のためになにかしてやれる、 そうすることのみがぼくの喜びなんですね。』

生死の境から悟った若狭の人生観である。 当時三井物産の八尋俊邦会長がこんな言葉を残している。
「最近、財界人で世間を騒がせたのは、三越の岡田さんと全日空の若狭さんだね。 しかし同様に罪に問われながら、このお二人に対する評価は月とスッポンだ。 岡田氏については(財界の)誰もが同情しないが、 若狭さんの場合はみんなが好意的なんです。 その違いはどこからくるのか・・・・・
結局、片方は権力に任せて会社を私物化し私利私欲を充たそうとした。 これは誰がみたってホメられることじゃない。 しかし若狭さんの場合は「私」の影が全く感じられない。 財界屈指の清廉居士であり、だからこそ周りが何と言おうが堂々としていられる。 あの強さは尋常じゃありません。 人あたりはおだやかだが、おそらく相当頑固な信念・哲学を胸の裡に秘めているのだろうね」

この度のライブドアの事件は、ただ1社の問題ではなく、 日本社会のそのものであるとも捉えることができる。 大企業であれ、中小零細企業であれ、21世紀を生き抜くために、 必要不可欠なことが若狭が歩いてきた道にある。 企業は、企業が存続するためにあるのではなく、 人が幸せになるためのものである。 今こそ先人に学べ!

引用 経営者を支えた信仰~池田政次郎著より