背広を着た鞍馬天狗
中山素平の印象は、背広を着た鞍馬天狗である。映画やテレビ に出る鞍馬天狗が、いずれも男前で長身、痩せぎすなように、中山素平もスマートである。しかも、海運再編成・日産プリンスの合併・証券恐慌の際の日銀特融問題・新日鉄の合併というふうに、経済界の危急存亡が伝えられると、かならず姿をあらわして問題を解決する。
その間の動きが迅速果敢、神出鬼没、さらに問題を解決したあと、後も振り返らずに立ち去っていく姿は、いよいよもって鞍馬天狗を彷彿とさせる―― 昭和40年評論家・草柳大蔵は、中山素平をこのように評した。
流れのままに・・有言実行
昭和4年の就職難の時代、たまたま 就職採用のあった日本興業銀行に、素平は採用された。流れのままに・・・それがモットーの青年は、商業高校を卒業した女子行員から、ソロバンのできない大卒が馬鹿にされるような環境の中で、そつなくソロバンや仕事をこなした。

同期の東大出が、経理を出て銀行の顔になる部署に移れとアドバイスしても、――僕はそんな生き方はしない。とにかく、ここでの仕事を何とか物にしたい。出ないで、できるだけ収穫する――と言い切る。 とはいえ、おかしいと思ったことは見過ごさない。当時興銀には、学歴や役職による昇進待遇には身分制度とも言えるものがあった。「ぼくが興銀にいるうちに、この身分制度を絶対変えてみせる」そう断言したが、誰も信じなかった。 それから15年後、人事部長になった時、これを現実化させた。
――こういう考えでやろうとなったら、僕はしつこいんだ。とことんやる――。 そして――問題は解決されるためにある――を信条とする。
あの土光敏夫でさえ、「わしの苦手が3人いる、石坂泰三と永野重雄と中山素平だ。とにかくこの3人から何か頼まれると、おれとしたことが絶対に嫌だといえんのだなあ」と話す。興銀の内部では、「運を天に任せる」を略して「運天」と呼ばれた。
しかし、身分制度廃止のように、常に行動をもって結果を出した。 戦後処理においても、興銀は戦犯銀行のレッテルを貼られたが、日本復興のために興銀は必要との信念から、ほぼ2年間、総司令部に毎日通い粘り続け、ついに存続を勝ち取った。
反面、大戦末期にシンガポールの出張では、生命の危険にさらされた。外地に赴くさい、周囲からもらったいくつものお守りを、心がこもっていると、何年も大切に持ち続けた。
◆牛尾治朗(経済同友会代表幹事)
善悪を言うことを照れる人だし、善悪を押しつけない。
美はわかっても、何が真実か信じない。
実に複雑な人で、五次元方程式みたいで解けない。
だから、たとえば【中山素平とうまくやる法】なんて書けません・・・
◆小林陽太郎(ゼロックス会長)
経験だけでなく、非常に勉強し、それらが蓄積されたまま消えないでいる。
それも、物おぼえがいいなどといった単純なものではなく、他人の話を聞きながら、
頭の中に入れていいものしか入れてない。
非常に物静かに、にこにこして話を聞いてくださるが、だからといって、
話の弾みで適当に言ったりすると、とたんに、何を言っていると叱られそうで・・・
教育者としての顔
鞍馬天狗の偉業は数々あるが、経済界の支援を自らの足で引き出し、日本で唯一、全科目英語の授業を実施している国際大学(社会人の為の大学院大学)創立者。それがもう一つの顔である。平成14年、素平は次のような言葉を残している。
――大学は研究も大切だけど、教育、つまり学生を教えることが一段と大切。国際大学創設の20年前から、私は「高度な実学」を学べと言ってきました。現在の大学はアカデミックなものを尊重して、実学を軽視する傾向をあえて批判して「高度」と言っています。「高度」とは、人間学や文化人類学、宗教、社会などの比較学なども含めた内容を示します。
国際化・国際人などと抽象的に考えず、日本人として当然、日本の歴史や文化をわきまえ、しかもその国際的違いだとか、グローバル化とそれに沿って勉強する人間を養成することが、今の国際大学でも、日本の大学教育全体に求められている。
教育でも経営でも、要はリーダーです。単なる専門家ではなく、経済界のリーダーを養成し、人間学を勉強させ、徳育・知育・体育を、バランスよく学び、立派なリーダーが排出されることを、祈りたいね――
素平自身こそ、高度な実学を実践した人である。
運を天に任さない強運の人

素平の「素」は白より白くの意味で、「飾らない人間になれ」の意。運を天に任すことを情けないとし、与えられた場の中で生き抜いた。
◆豊倉康夫(昭和62年ごろ、素平の硬脳膜下出血を診断した医師)中山素平の脳は驚くほど立派でした。
長寿者や傑出人の一つの大きな特徴は、
――もちろん遺伝子があり、社会環境もありますが――それも含めて『運がいい』ことですよ。
たいへん乱暴で非科学的ですけれども、私は運のよさというのも、一つの能力だと感ずるように
なってきました。
うっかりすると自慢話になる。自分のことをよくしようということはしない方が良いと、持ち前のしつこさで生涯、勲章や叙勲を辞退し続けた。 ――自己顕示の人は全然評価しない。大きなスケールでものを考える人は、右であれ、左であれ共感を覚える――
そんな素平が、生前につけた自身の戒名は『ギンコウ院シンヨウ第一居士』。
素平の目に、日本の未来はどのように映っていたのだろうか?