
行政改革もみかけだけのもので、実際には何も変わっていない。
こんな厳しい評価もあるようだが、実のところ何かが変わったと感じている人はほんの一握りだけで、多くの人が相変わらず先行きの見えない不透明さや表面的な情報や言葉に翻弄されているのではないだろうか。
木原秀成先生が、バブルの時代から警鐘を鳴らし続けてこられた『格差社会・階級社会』という言葉が
マスコミからも目立ち始めている。
国民の平均年収が変わらなくても、確実に裕福層と貧困層の数が増えている統計もある。
一部の人間だけが、自分達の生活のみ豊かで、社会が貧しい・・・・
そんな日本に今なりつつあるのは間違いない。 経済の動きは政治と直結している。現代はすべての仕組みが経済を中心に回っているといっても過言ではない。
しかし、経済を豊かにしようと表面では言っていても、お金が集まる所は特定な場所で、
循環しない仕組みが確立しつつあるのが現実なのである。
その時、その瞬間に全力を注げ
経団連名誉会長の土光敏夫といえば、知らない人はあまりいないはずである。
石川島の社長から、当時巨大企業・東芝社長に転身。名門意識にあぐらをかいて、覇気もなく沈滞ムードが支配していた東芝を見事に甦らせた。さらに財界総理と呼ばれる経団連会長、行政改革臨時調査会会長(臨調会長)として辣腕をふるい、
民間人として生前の受賞は初めてという勲一等旭日桐花大綬章を受けるに至った。
土光さんなら間違いない、
あの人なら必ずやってくれるはずだ・・・・
しかし、土光本人は名誉も富も欲してはいなかった。
石川重工業や東芝の社長も、経営の大変な時に「土光なら」と再建を期待されて押しつけられたポストであった。
にもかかわらず、その期待を裏切らなかった人が、この土光敏夫という人である。
土光は言っている。
「その時、その瞬間に全力を注げ」

来世に関係なく一生懸命につとめれば、この世で仏性を得ることができるんだと。
その場合の仏性とは、仏様と同じで無限の力を得ることが可能だという意味ですが。
だからぼくは朝、太陽が昇るたびに思いを新たにする。
これから始まる一日は、過去のどんな偉い人、ナポレオンだって経験しなかった、まったく新しい時間ではないか。
有効に使わんことには、おテント様に申しわけが立たんのではないか、と。
言うなれば『一日主義』です。
今日一日を精一杯に生きて完全燃焼する。
一日ごとに歴史は動いているのだから、ボヤボヤしてはいられない。
そして今日のことは明日に残さない。
だからぼくは過去のことを聞かれると
「そんなものは知らん、ぼくには今日しかないのだから」
と答えるだけです。
法華教には「菩薩行」という実践活動の教えがある。
これは日常の生活において、徹底して人のために尽くせ、他人を幸せにできずして自己の幸せはない。
いわゆる『愛他精神』なのですが、これも大事な教訓になった。
ぼくは自分の生活など考えたこともない。
仕事をさせてもらって、3度のメシさえいただければ、それだけで大満足。
そのうえで、なにがしか人様に喜んでもらえれば、それ以上望むものはない。
個人の生活は質素に、社会は豊かに

土光の一日は、朝4~5時から始まった。
起きてまず30分の読教。
彼は熱心な日蓮信者だった。
坊主でないから理屈はわからん。ただこれをやると心身に張りができ、今日も一日頑張るぞという気になるんだ
と言う。
その後、庭で体操をしてから一汁一菜の食事をとり、各種の新聞に目を通してから7時半~8時ごろには出勤する。
各社の社長や経団連の会長に就任してからも、この習慣は変わることがなかったとされる。
華々しい経歴とは裏腹に、自宅は小さな作りの古屋。
真冬の寒い時期にも、暖房の無い部屋で平然としている強靱な心身。
「メザシの土光」と言われたことは有名である。
土光の信条は「個人の生活は質素に、社会は豊かに」だった。
母・登美が70才の時に『国の滅びるは悪によらずしてその愚による』と創設した女子校・橘学苑。
母亡き後、その意志を引き継ぐ。
昭和57年、臨調会長時代の年収は5千万もあったが、橘学苑に3千万円以上も寄付し、
税引き後では1ヶ月の生活費として5万円程度しか残らなかったと言われる。
道楽とも言われた学校経営であるが、夫人と二人三脚で人材育成のために注がれた投資は、
何倍もの社会の豊かさに換わっていったに違いない。
循環型社会の仕組み創り
私利私欲がなく万事に公明正大な人。功名心とか名誉心などは全く無縁でいわば現代の高僧。
そう評された土光が、2年間の臨調会長、その後3年間の臨時行政改革推進審議会会長を勤め上げ、
「国民の皆様へ」と題した遺書には、このように述べられている。
行政改革は、21世紀を目指した新しい国造りの基礎作業であります。
私は、これまで老骨に鞭打って、行政改革に全力を挙げて、取り組んでまいりました。
私自身は、21世紀の日本を見ることはないでありましょう。
しかし、新しい世代である私達の孫や曾孫の時代に、我が国が活力に富んだ明るい社会であり、
国際的にも立派な国であることを、心から願わずにはいられないのであります。
21世紀をむかえ、土光の意志とは全く逆の社会になりつつある。
しかし、土光の意志は、国民の望む社会と言えるに違いない。
一部に集まり循環しない経済・社会の仕組みを今こそ見直し、
循環型社会の仕組み創りをしなければならない。
その為には、企業は大小問わずその大いなる潤滑油となる使命があるのではないか。
引用 経営者を支えた信仰~ 池田政次郎著より