[人間づくり]総合人間教育学の普及と援助

人間づくり対談



今の日本は人材不足
木原
下村先生は、論語を通じて子供達を教育されていますが、今の日本をどのようにお考えですか?

下村
人材不足ですね。昔は論語の教えから経営を確立していた経営者も相当いましたが、今はアメリカナイズされてしまって、いなくなりました。

その意味では、江戸時代の教育は優れていました。最近の研究で、一番脳を活性化するのは「読み書きソロバン」だと解明されました。つまり江戸時代の教育そのものだったのです。


寺子屋・藩校・私塾で、武士だけでなく、女や子供まで論語を中心にすり込んでいたのです。倫理の基本は、その時にわからなくても、徹底的にして健全な思想を持たせておけば大丈夫です。大きくなって意味がわかったら悪いことをしません。

余談ですが、脳の活性化に役に立たないのは、パソコンと携帯電話です。脳が働かないんです。楽は楽なんですが。
だから、今年一年は徹して子供論語塾をしてみるつもりです。

木原
私も、例年5月の連休に子供も連れて四国八十八ヶ所をお参りするのですが、子供達が目に見えて規律正しくなってくるんです。意味はわからなくても、いつか、そこで感じたことが役に立つのではと。


脳を活性化する「読み書きソロバン」
下村
江戸から明治にかけてあらゆる分野で20代の優秀な人材がでたのは、脳を活性化していたからだと思います。

例えば、小さいころからソロバンを習っていると、頭の中の映像化したソロバンがはじける仕組みができて、後から理論回線ができる。私は就職したころソロバンを習いましたが、暗算で子供に負けました。

残念なことに、岩倉具視が西洋の技術の発達に驚いて、日本の良いものまで全部捨てて、西洋の学問に変えてしまった。

だから、まき直しの意味でも、原点に戻った方が良いです。 

木原
果たして原点回帰できるでしょうか?
私は仕事がら社会人教育にも携わっているのですが、なかなか難しく苦労しています。


読書が教育を変えた
下村
大人は既成概念ができあがっているから、それを崩さないと変わらない。
しかし、子供はあっという間ですよ。すると大人も変わらざるを得ない。
読み聞かせでした。乳児検診で、親に絵本をプレゼントし、それを読み聞かせたんです。

「からだを鍛えるのはミルク、こころをつくるのは本」ということです。

日本でも授業ができないある学校で、授業の前にマンガでも何でも好きな本を読ませてから始める事にしたら、ちゃんと授業ができるようになった。たった10分で教育の原点が変わったのです。
また、ある小学校では全員に、毎日図書館で本を1冊借りさせたら、不登校がいなくなった。

小さいころから本に親しませるのは、大切な子供教育の原点だと思います。それが私の論語塾のスタートです。 


安岡正篤先生の人間学とは?  
木原
下村先生は、漢学者であり戦後の歴代首相指南役として有名な安岡正篤先生と、ご縁が深いようですが。

下村
「人間学」を最初に唱えたのは安岡先生です。
世の中はすべて人間が作っているのですから人間学は非常に大切ですね。
先生は全ての教科で満点をとる程文武両道で、東京帝国大学で学問を究めた。

西洋の学問を突き詰めるとすべて分析で上に広がっていく、東洋はすべて根に戻る。だから、東洋が基本だけど、両方バランスをとることが一番大事だと言われてました。
例えば、木を茂らすためには、上ばかり見ていてもダメで、枝を剪定したら根が張る。根が張ると木は上にどんどん広がる。木と根のバランスが一致した時に木は育つんです。


人間も偉くなるほど、見えないところを鍛えなかったら、必ずおかしくなっています。

木原
高度な専門技術で一時的に脚光を浴びた会社でも、そのうちダメになるのは、人間学が欠けているのではと感じることがあります。

下村
安岡先生は、人間にとって縁ほど不思議なものはなく、人との縁を大切にとも言われていました。根を鍛えて知識をつける、そして徳が大事だと。

私は、知識よりも後半の人生に影響が大きい習慣が大切だと思います。習慣は小さい時に何度も繰り返してすり込まれる実践力です。

人間の持って生まれたものはそんなに変わらないが、人の強さは実践をいかにたくさんするかです。
今の人は、勉強だけして苦労していない。だから、実践力が養えないですね。

木原
経験がないと、とっさの時に対応ができないですから。

下村
それと、腹をすえた調整役がいなくなりました。

佐藤首相の腹心と言われた保利茂さんは、正に腹の据わった調整役でした。沖縄復帰の時、反対した野党の幹事長を全員ホテルに缶詰にして徹した議論を行い、生命がけで調整をはかった。その結果、沖縄復帰は実現し、後に佐藤さんはノーベル平和賞をもらうんです。

彼も家が貧乏で、学校に行けず郷里の鉄工所で働き、勉強をするため弁護士の書生に入って大学を出た苦労人なんです。 

木原
凄い迫力だったそうですね。政治もねじれ現象ですが、いつの時代もある意味ねじれているのだから、腹の座った調整役がいないことが、政治の混乱を招いているかもしれません。

財界では石坂泰三先生、土光敏夫先生などを思い出しますね。

(次回につづく)


下村 澄(しもむらきよむ)
1929年佐賀県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。大阪テレビを経て、株式会社毎日放送入社。秘書部長・社長室・局次長を勤める。 経済団体社団法人ニュービジネス協議会(NBC)専務理事・相談役を歴任。勉強会の横断的組織「知恵の輪」の代表を長く務め、株式会社日本企業調査会・相談役、「不昧会(ふまいかい)」代表、「素心・不器会」会長として読書会、著者と語る会、銀座寺子屋子ども論語塾を開催している。 著書に『人脈のつくり方』『「人脈」を広げる55の鉄則』『人望学』『人間の倫理』<安岡正篤先生に学んだこと>の三部作『人間の品格』『人物の条件』『「運命」と「立命」の人間学』ほか多数。



安岡正篤(やすおかまさひろ)
1898年大阪市生まれ。東京帝国大学法学部政治学科卒。東洋宰相学・人物学・陽明学等の権威。
1931年日本農士学校を設立、東洋思想に基く農村青年の教育を行う。戦後は全国師友協会に拠り、各地に大きな教化活動をする。「国家の興亡は、その国に如何なる指導者を有するかに依って定まる」との信念の下、真成のエリートを養成することを目指す。
「玉音放送」原案に朱を入れたのを始め、歴代首相の国会での演説草稿に筆を入れ、首相の指南役として知られた。「宏池会」「平成」の名付け親でもある。著書に『東洋倫理学概論』『陽明学十講』『老荘思想』等がある。1985年蔵書1万冊が韓国の大学に寄贈された。没後、『活眼活学』『運命を創る』『人物を修める』等、生前の講演、講話をまとめた本が刊行され、ビジネスマンに幅広く読まれている。 1983年12月13日永眠。