琴の和道 通蒙憲法 第一条
和を以て貴しと為し、忤うことなきを宗とせよ。
人には皆 黨有り。
また、達る者は少なし。
是を以て、或は君父 にも不順あり。
また隣里にも違う。
然れども、上和ぎ 下睦み諧て事を論めよ。
則は、事も理も、自ら通わしめ何事か成らざらん。
わをもってたっとしとなし、いさかうことなきをむねとせよ。
ひとにはみな ともがらあり。
また、さとれるものはすくなし。
これをもって、あるいはきみ おみおやこのあいだにも したがわざることあり。
またいえいえむらむらにもなかたがう。
しかれども、つかさたちやわら おおみたからむつみうちとけて ものごとをさだめよ。
しかるときは、ことごともことわりも、みずから かよわしめなにごとかならざらん。
第一条
和を以って貴しとする。いさかわないことを旨とせよ。人にはそれぞれ朋党があり、しかも達者は少ないから、主君や父母に従順でなく、隣里とたがい違いになったりする。そこで、上下が親睦融和して話し合うようにすれば、事柄は自ら通じて、何事も成就するのである。

第一条で太子は、人間性に対して、厳しくも正確な見方をしていますね。
悟れる者は少なし、自分を磨け。人々が党を作るのは当然のことだが、党の力を非道なことに使ってはいけない。君主にも両親にも従わないということが起きる。家風や村里の風習を大切に、上に立つ者が下の者たちに打ち解けて語り合えば、いかなることもできるはずである、と諭してあります。
また、「忤う」ということについて、従来〝さからう〟とふりがなをした文書が多く、私は疑問でした。やはり〝いさかう〟と読むべきでしょう。公務員が、上級者や同僚にいちいち逆らっていては、目茶苦茶になります。最善の解決策を見出すための討議に入ったときには、人と争ったり、諍うような気持ちではなく、平常心で務めよ、と言われたのだと私は思います。
この言葉で思い出すのですが、私が子供の頃に父親が、「他所の村へ行ったら、諍いするんじゃないぞ」とよくっていました。悪童時代は言物の限度を知りませんから、とんでもないことになったらいけないと、父は心配していたようです。まして、ふだんからのおつき合いのない場所で、問題が起きては大ごとになります。
「いさかい」をするなよ。太子の教えは、今日、身につまされる思いがしますね。