社会保険庁の不祥事、介護最大手の一つであるコムスンの不祥事をはじめ、親殺し子殺し、政治の腐敗…等々、日本国中どこを見廻しても、ますます混迷の度合いを深めつつあり、特に指導的立場にある人の資質の劣化現象は目を覆うばかりである。
今の指導者に何が足りないのか?
それを再検証する意味において、日本国の礎を創った、聖徳太子の偉業を振り返ってみたい。 聖徳太子の偉業の一つと言えば、五種の「一七条の憲法」制定である。
聖徳太子憲法
通蒙憲法―公務員用
政家憲法―政治家用
儒士憲法―儒学者用
神職憲法―神職者用
釈氏憲法―仏教者用
聖徳太子が憲法を草案したのは推古天皇十二年(西暦六〇四年)ですが、きっかけは、その六年前の冬のこと、越後の国の国司から「巨大な白鹿」を献上された時、角が十七支胯に分かれていたところから、十七条の憲法を思いついたと言ういわれがあります。
しかし、他説では、天の九極星と地の八極星を合計して十七という数を絶対的なものとみた、という説があります。 また、推古天皇と太子との間にかわされたお言葉が残っており、太子は次のように申されています。
「琴」楽の音は人の情を和らげる。即ち
和道。
「斗」は北斗星。天の道に順ずるべしということから
順道。
「月」は進むことと辞すること、分節を明らかにしているので
礼道。
「台」は天皇を補け奉る三高官を意味することから
政道。
「鏡」明らかに照らすので
智道。
「竹」は節の間に空があり強さがある。官人の行いと心の有り様と知る。ゆえに
官の道。
「冠」は位階の器であるから
位道。
「契」は文字を意味する。文字は道理を盛る器。そして道理は信によって立つ。ゆえに
信道。
「龍」は大きくて霊体ながら小身になって身を隠す。大でありながら小となるは謙。ゆえに
謙道。
「花」は開いて落ちて私心がない。私心なく賞罰を明らかにする
事道に通ず。
「日」は天の主である。天子は国の主である。ゆえに
主道。
「車」は両輪があって誤りがない。司たちの足である。ゆえに
司道。
「地」は万物を育てながら決して嫉妬心がない。これを
徳道とみる。
「天」は四時百刻、私心がない。ゆえに
公道。
「水」は夏に解け冬に凍り、時々の事の処し方を知る、ゆえに
時道。
「籠」は目盛りのついた器。品定めをして、大小も分かつ、ゆえに
品道。
「鼎」は三本足で立つ。ゆえに三法に当たる神・仏・儒の尊きを説く、
法道。
以上のことを基本にして〝十七条の憲法〟は制定され、その内容を、故三波春夫さんのご著書をもとに抜粋し、解説していきます。