[文化づくり]国際文化交流の推進と援助

CMF対談

福山市政を刷新する会代表 木村文人 『鞆は日本文明・文化を包み込んだ「倭・うるわしの町」』

木原 鞆の浦の埋め立て問題は20年近い歴史があるのですね。
木村 県が鞆港の港湾整備計画を1983年に策定して、町を二分する騒動が持ち上がりました。私は反対派で活動を続け、昨年末の広島地裁が出した差し止め命令と、前原国土交通大臣の見送り、県知事の計画見直しの示唆には、胸をなで下ろしました。

平家や足利家の栄枯盛衰。鞆の浦は神代の時代から、天皇や時代の権力者達が時を刻み、また美しい風景と自然の恵みがこの町に重要な役割を担わせてきたのです。この伝統を決して壊してはならないのです。
メモ 鞆の浦埋立て架橋問題
1983年広島県が福山市鞆の浦地区の県道バイパス建設を策定。以後、鞆港埋立・架橋差し止め訴訟が起こる。昨年広島地裁が差し止めを決定も県が控訴。一地方の整備計画が、鞆の浦の歴史や景観などの良さを再認識させ、国や世界遺産審査機関、宮崎駿監督なども巻き込んでの論争を起こしている。
木原 ここまで地域に尽力されるのは何故ですか?
木村 「ゆりかごを動かす手は全世界を揺り動かす」という有名なシェークスピアの言葉があります。ゆりかごを動かす手は、我がいとしい子を抱くか弱い「母の手」です。この一見か弱い母の手こそ、やがて世界を動かす偉大な力強い手であるということを忘れてはならないのです。

そして福山の明日を背負って立つのは私達の子や孫たちです。その親である私たちが、現状いかに対処し行動をするかで、我がふるさと「福山の将来」が決定されるからです。
木原 大切にされている事は?
木村 今や「心の教育」が求められて久しく、虐待されていのちを落とす子供たちがいて、子供が親を殺す事件が後を絶ちません。木原理事長も教育には随分力を入れておられますが、21世紀を担う子供達のために私達大人も、国家もその責任を持たなければ、今の日本は救えませんよ。
木原 鞆は2千年の伝統と歴史がある町なんですね。
木村 鞆の浦の歴史を調べれば調べる程、日本文明・文化が重箱の中にぎっしりつまって積み重なっているのです。

私は永年、着物の仕事に携わっておりますが、着物は「包み込みの文化」と言われます。また、市名の福山が「福の山を包み込む」なら、鞆は「倭・うるわしを包み込んだ」日本文明・文化発祥の町と言えるでしょう。

だからこそ、この美しい日本の心魂のふる里を守り抜かなければなりません。まさに生きている世界資産ですよ。

2008年に公開されたジブリ映画「崖の上のポニョ」。この映画の構想を、宮崎駿監督が鞆の浦で行ったことと、この地域の埋め立て問題が重なり注目を浴びた。昨年、広島地裁が架橋事業停止をくだした裁判に、宮崎監督は「開発でけりがつく時代は終わった。公共工事で劇的に何かが変わるという幻想や錯覚はやめた方がいい」と話した。
幕末の英雄坂本龍馬も暗殺される半年前、鞆の浦にいた。いろは丸が沖合で紀州藩の船に衝突され沈没。その賠償交渉が鞆の浦で行われた時、宿泊していた廻船問屋枡屋、談判跡などが残る。また、1867年に引き上げられたいろは丸の関連資料などの展示館もある。
平山郁夫先生は広島県(尾道市瀬戸田町)出身の文化勲章も受章した日本最高峰の画家であり、教育者。朝日新聞のインタビューでは「広島県の世界遺産になりうるのは『原爆ドーム・宮島・鞆の浦』」と言われた。世界遺産登録の審査団体イコモスの会長も、昨年鞆を視察した。
日本で最初の国立公園の一つとして指定された景勝地、それが鞆の浦。瀬戸内海の中央に位置し、四国を挟んで大阪側と下関側から入る潮の満干が原因で潮流の逆転現象が起こる。この流れが変わるのを待つことを「潮待ち」といい、鞆の浦を2千年にわたり繁栄させてきたのだ。


●神代の時代
応神天皇の母、神功皇后が鞆の浦に立ち寄った 時、氏神の祭主として妹をこの地にとどめたと の伝説が残る淀媛神社がある。

●室町時代「足利は鞆に興り、鞆に滅ぶ」
室町幕府は足利尊氏が鞆の浦で院宣(天皇の命 令書)を受取り始まった。そして最後の将軍足 利義昭は織田信長から京より追放され、この地 で滅んだ。

●源平合戦の悲劇の地
源氏の追撃に西へと落ちていく平家。鞆の浦に はその時、上臈(じょうろう-最も身分の高い 女官)たちが置き去りにされた。生きるために 女官は身体を売って生計をたてるようになった。 上臈が女郎へ。鞆の浦は女郎部屋の発祥とも言 われ、今も女郎部屋が残されている。

江戸時代には日朝間の交易で、朝鮮通信使が対馬から江戸までの景色の中で、鞆の浦を「日東第1形勝(朝鮮より東で一番美しい景勝地)」と称賛した。特に福禅寺の客殿から見る海の景色は美しく、この客殿を通信使が「対潮楼」と命名した。
江戸時代、オランダのシーボルトも鞆の地に上陸し、福禅寺や医王寺にも立ち寄った。
鎖国をしていた江戸が開国にむけて大きなきっかけとなったペリー艦隊。鞆の浦の保命酒はペリー提督に好評だった。




福山市無形民族文化財
◆お弓神事 沼名前神社 2月
年頭にあたり、過ぎた一年の悪鬼を射払い、新しい年の平穏を祈る格式高い神事。

◆お手火神事 沼名前神社 7月
日本の3大火祭りの一つ。火のついた松明明を担ぎ、神社の永い石段を勇ましく練りながら上る。

◆箏曲『春の海』
作曲者の宮城道雄は8才で失明する前に、父の故郷鞆の浦で祖父母に育てられた。鞆の浦の海をイメージして作曲したのが『春の海』

◆寺院
  鞆最古の寺院-静観寺(最澄により 806年創建)
  医王寺-空海により826年創建

国の重要文化財
・太田家住宅・朝宗亭
・安国寺(釈迦堂・阿弥陀三尊像)
・沼名前神社の能舞台

国の天然記念物
・法宣寺の大覚大僧上による手植えの天蓋マツ

広島県指定天然記念物
・仙酔島(海食洞)

広島県指定重要文化財
・弁天島(百貫島)塔婆
・岡本亀太郎本店の門構-福山城の長屋門を移築
・沼名前神社の石鳥居

広島県指定史跡
・平賀源内生祠
・太田家住宅・朝宗亭
・安国寺境内

福山市指定史跡
・大可島城跡
・鞆城跡

福山市指定史跡
・力石
・鞆の津の商家


万葉集(7世紀後半~8世紀後半) に鞆の歌が八首残る
  大伴旅人
   吾妹子(わぎもこ)が 見し鞆の浦のむろの木は 常世にあれど見し人ぞなき
   鞆の浦の 礒のむろの木見むごとに 相見し妹は 忘られめやも

1927年(昭和2年) 日本を代表する25の景勝地に選ばれる
         大阪毎日新聞社、東京日日新聞社主催、鉄道省後援


2004年(平成16年) 「日本の美しいと認められた道500コース」に
          「歴史と港町旅情・鞆の浦を訪ねるみち」として選ばれる
          美しい日本の歩きたくなるみち推薦会議が発表


日本国指定名勝一鞆公園
         国(文部科学大臣)が文化財保護法に基づいて指定した名勝