[健康づくり]総合健康事業の推進と援助

CMF対談


 
2004年は「国際コメ年」。稔りの秋9月、台風18号襲来の日、日本三景の一つ天橋立丹後一ノ宮で、古代米に魅せられて30年近く創り続けられている元伊勢籠神社の田造長 香山幸生さん宅で、『日本人よ、コメに還れ!』と題して、博学で知られる田中伸侍先生と木原秀成の三者で対談していただきました。


木原
台風十八号が今日にも急接近との予報の中、本日は香山さん、田中先生にはお忙しい中お時間をいただき有り難うございます。私は、ずいぶん昔、健康関係の仕事に携わっていた頃「古代米」のことについては聞いたことがあったのですが、昨年、田中先生とのご縁で「千代似八千穂」に出会い、大変感動し二百名近い方々にご紹介させていただきました。
来年は、是非古代稲が見たいとの希望が叶い、今日、香山さんの古代稲神撰田に行かせていただき言葉では言い表せない感動と、もの凄い古代稲パワーを感じさせていただきました。
しかも、不思議なことなのですが、私は仕事の都合で、昨日夕刻こちらに来たのですが、台風の影響もあってか、小雨が降っており、「明日は大荒れかな」と心配しておりましたが、私たちの来るのを歓迎して待っていてくださったのか、午前中は晴天で無事古代稲神撰田を拝見させていただき、終わったとたん、台風直撃の雨風の猛威がおそってきたのには、本当に驚きました。
私は、不思議なことには、よく出くわすのですが、このたびの不思議は、格別な感じがいたしました。早速ですが、香山さんはいつ頃古代稲に出会われたのですか。

丹後に甦った古代稲
香山
私が古代稲と出会ったきっかけは、昭和五十年に丹後郷土資料館に送られていた木簡を見た時です。
その木簡に「丹後国竹野郡芋野郷婇部古与曽赤舂米五斗(たにわのくにたけのごおりいもののさとうねめこよそあかつきごめと」と書いてありました。つまり、「丹後の国の竹野郡芋野郷部古与曽なる者が、搗(舂)いた赤米を献納した」という意味なのです。
どこに献納したかというと、当時都であった奈良の平城宮の造酒司(お酒を造る所)で、この木簡は、そこから出土したのです。当時は赤米が酒造りに使われていたのですね。
この「芋野郷」は、今の弥栄町に当たり、この木簡を見た同町に住む郷土史研究家の芦田行雄さん(古代稲研究会初代会長)は自分が住んでいる町から献納したのならば、どこかに赤米があるのではないかと、あちこちを探し回ったのだそうです。 
しかし、見つかりませんでした。芦田さんは、どうしても自分で古代米を栽培してみたく、古代米の種か苗をわけてもらえるところを懸命に探し続け、その甲斐あって昭和五十六年に岡山県総社市にある国司神社から種籾をいただかれたのです。
それが、日本の『古代稲の甦り』のはじめといっても過言ではなく芦田さんはその意味においては、偉大な功労者でもあるわけです。

以後、古代米は少しずつ広がりを見せ、昭和六十二年、奈良で第一回赤米シンポジウムが開かれ昭和六十三年に全国放送でNHKが弥栄町の古代米を特集し、一大ブームの火がついたのです。
それから来毎年1回、古代稲研究シンポジウムは続いており今年で十八回目を迎えました。今では古代米は健康にも良いということで、除々に古代米ファンは増えておりますが、これまでの道のりは平坦なものではありませんでした。
私も現在二十種類以上の古代稲を栽培しておりますが、それにまつわる苦労話が数えきれない程あります。もっとも今となっては懐かしい昔話ではありますが(笑)

木原
田中先生は、農業人でありながら科学・歴史研究・健康・精神世界・etc…… と多才マルチ人間であり、お会いする度に勉強させられることばかりで、研究熱心と行動力には感銘、感服しておりますが、古代稲のどこに惹かれたのですか。

田中
確か五年前だったと思いますが、友人宅に新年の挨拶に伺った時のことです。その家の玄関に見慣れない稲穂が飾ってありました。玄関に入った瞬間、私は全身に電氣が走り「これは何ですか」と尋ねました。すると「古代稲です」と言われ、薄い紫色したきれいな稲穂でした。
その時は、それで帰ったのですが、帰ってから、どうしても古代米を造ってみたくなったのです。まさに「霊感的インスピレーション」だったのです。
それから私の古代米の探訪が始まり、丹後一ノ宮の籠神社へ、そして宮司の海部さまにご紹介されたのが香山さんだったのです。 香山さんは籠神社の田造長をされていたのです。香山さんにお会いした時も、古代稲に出会った時と同じように全身に電氣が走りました。
香山さんはもう、二十五年も前から古代米を造られていたのです。私は幸運にも香山さんから十種類の古代米の苗を分けていただきました。それ以来、おつき合いが今日まで続いております。
今年は新たに『芒の郷』を設立しようと思っています。

木原
香山さんは、古代米を三十年近く造られており、籠神社はもとより全国の神社様とのご縁や、伊勢神宮に古代稲の献花をされたりしており、また平成十二年から五年間、古代稲研究会の会長をおおせつかったりしておられますが、何が香山さんを古代稲の虜にしたのでしょうか。

香山
やはり、古代稲の持っているパワーといいますか、霊的な神秘性だと思います。
古代稲の前に立つと、なぜかしら胸が高鳴るといいますか、全身に哀愁のような何ともいいようのない霊氣を感じるのです。古代稲の声が聞こえてくるのです。いやそれは古代人の声かもしれないのです。
丹後地方は古代丹後王国が存在したとの神話もあり、もしかしたら、丹後地方に住んでいた古代人が、日本全国に稲作を広げたかもしれませんね。それが何千年の時空を経てこの丹後に甦ったのだと思います。

木原
田中先生、それはどういう意味を持っていると思われますか。


コメは日本なり
田中
素直に申し上げるなら「日本人よコメに還れ!!」ということだと思います。「コメ」は日本人そのものであり、日本食はその象徴であると思うのです。
日本人は今、すべての分野で洋風化傾向が強くなりつつありますが、同じように食も洋風化が進み、コメ離れをし ており、年々おコメを食べなくなっておりますが、これは大変危惧すべきことなのです。 なぜかといいますとコメは

一.日本人の主食でありながら、自給率は年々減少し、もし戦争でも起こればたちまちにしてコメ(食料)が
   不足します
一.コメをはじめ穀類は健康的に非常に良い食べ物です
一.今、胚芽米は人気ですが、ミネラルも豊富でパンより栄養価もエネルギーも高いのです
一.食の洋風化が進み、日本人は肉を食べるようになりましたが、肉は家畜から生産されます。
   家畜の多くは草食動物であり、ワラや牧草、トウモロコシ等を多量に食べるため、耕作面積を増やさ
   なければならない、そのため穀類の自給率が年々減少しています。


稲と電氣
田中
特に「稲と電氣」の関係について詳しく述べてみたいと思います。

木原
大変興味のある話ですね。是非とも教えてください。

田中
昔から、雷の鳴る年は豊作だと言われます。
古くは「雷」という字は、「神成り」と書いたそうです。「雷」という字の下を少し伸ばすと「電」という字になり、これはアースを取るという意味ではないかと思います。大地・地球のことを英語ではearth(アース)といいます。
さらに雷は稲光りとも、稲妻ともいいます。いずれにしても稲と雷は関係が深いということがわかります。
本来、妻というのは『いとしいもの』『愛すべきもの』という意味で、稲妻の〝妻〟とは、稲が欲しがるものを意味しています。それが雷(稲光り)というわけです。

稲妻というのは物理的にいうと、プラズマ状態になっているそうです。
つまり高度に電離した状態で、原子の外側を囲んでいる電子がはぎ取られ、原子核が裸のまま飛び回っており、氣体がイオン化している状態のことです。
それで大氣中の窒素がアンモニアになります。これが雨とともに大地に降りそそぎ、稲の栄養になったり、土中の微生物を活性化したりして、植物の生育を促すのです。
稲は葉がとがっています。稲の穂についているノギ(芒)もとがっています。これは電子を受けやすい形なのです。植物の栄養というと、とかく土中の養分が問題にされますが、大氣から得る栄養もあるのです。
このとがった部分は電子が集まりやすく、マイナスイオンが発生しやすいので、麦畑などに行くと非常にすがすがしい気持ちになります。
昔は、良い土地を〝イヤシロチ〟悪い土地を〝ケガレチ〟といいました。
古代の「カタカムナ文献」を解読された楢崎皐月先生が、全国数千カ所の土地の電位を測られたところ、有名な神社はだいたい電位が高かったそうです。
稲は大気中の電子を受けるためにノギを、残しているのではないかと思われます。
私は八種類の古代稲を「縁喜之華」として千代似八千穂と命名しご縁のある方々に分けてあげていますが、以前、これを差し上げた方から「家に千代似八千穂を置いてから、死にかけていた猫が元気になりました」という電話をいただきました。
お一人の体験なら、たまたまそうなのかなーとも思えますが、同じような報告を二人の方から受けました。こうなると、やはり古代稲のパワーのようなものを感じないわけにはいきません。まだまだ古代稲の不思議な体験はたくさんあります。

香山
成る程ですね。昔から雷の鳴る年は豊作といいますが、それは事実ですね。また雷は大地にエネルギーを与えている、その受信機になっているのが稲のノギなのですね。私も古代稲の不思議な体験はたくさんあります。


硅素の働き
木原
田中先生は、稲と硅素(シリコン)の関係の話をよくされますがその点についても、もう少し詳しくお話していただけませんか。

田中
古代米は現代の農法では造れません。国司神社(岡山・総社)多久頭魂神社(長崎・対馬)宝満神社(鹿児島・種子島)では、農薬や化学肥料は使っていません。こういうものを使うと古代米は実らないそうです。
私もはじめて古代米を造るときは悩みましたが、稲を育てるのは水と土ですから、単純に考えて稲の落としたモミガラをよく腐らせて肥料にし、田んぼには備長炭を敷いて苗を植えました。そのお蔭で、はじめての人は失敗することが多いといわれるのに、私は初年度からうまく収穫でき、香山さんに褒められました。

古代米は遺伝子が憶えていて、農薬や化学肥料を撒いたところでは実がなりにくいそうです。古代米を支えているのは土だということがよくわかりました。 土という字を分解すると、+と-になります。これはプラスとマイナスとも受けとれ、土は電氣的なバランスをとっているとも考えられます。この土という字を二つ重ねると〝圭〟になります。これに石へンをつけると〝硅〟です。これは硅素(ケイ素=元素の一つ)の〝硅〟です。

ケイ素(Si)は炭素(C)ゲルマニウム(Ge)などと同族で、性質がよく似ています。これらは原子核の最外殻の電子(フロンティア電子という)の数が四個です。これらは電子を取ったり放したりし、半導体の役割をします。 この硅素は何に多いかというとモミガラです。モミガラの約三〇%はケイ素です。ノギはほば一〇〇%が硅素ではないかと思います。
つまり、稲には硅素が多く含まれているのです。もちろん麦にも含まれています。昔話の〝花咲じいさん〟が蒔いたもの(灰)には硅素がたくさん含まれていたのです。 人間の身体は、炭素・水素・酸素・窒素を中心とした主要元素で99・6%以上できており、微量ミネラルですが、特に身体を作るための硅素は大切な元素なのです。
ですから、人間はコメを食べなければならないということです。幸いにも日本人はコメを主食にしてきましたが、今、そのコメを日本人は食べなくなりました。これはどういうことかといいますと、日本人が健康でなくなるということです。 日本食が欧米では健康食として注目されているのに、日本人は、欧米人が非健康的だと気づき始めている西洋食中心になりつつあるということは、大げさに言えば、将来の日本が危ないということが言えるのです。


古代米からのメッセージ
木原
成る程、だから日本人はコメを食べなければならないのですね。〝コメが滅べば日本が滅ぶ〟 これは今、日本国が目覚めなければならない大事な視点ですね。香山さんは、コメの原点である古代米を、天橋立をつたってこの丹後から甦らせたということは、丹後から日本が甦るということのメッセージかもしれませんね。

香山
そんなことは考えてもみませんでしたが、古代米の甦りが日本の甦りとなれば嬉しいですね。 そうなれば、木原先生が唱えられている『急いで還れ!日本へ』とつながりますね。

田中
それはほんとうのことだと思います。日本人はもっと米麦を食べなければなりません。そのことが、日本人を日本人あらしめることなのです。
私が、先生に敬意を表するのはコメもその一つなのですが、先生は日本的価値を取り戻さなければならないと、CMF地球運動を提唱され、東奔西走しておられるのです。
同じようなことを言われてる人は多いが、先生のように実際の行動を起こす人は少ないのです。 先生に、もの凄い霊的パワーを感じるのです。

木原
過分なお褒めをいただき、有り難うございます。今、日本は大きな岐路に立っていると思うのです。
欧米文明が行き詰まり現象を起こしているにも関わらず、日本はそれをそっくり導入しようとしています。これは極めて危険なことなのです。このまま進めば「日本国滅亡」になりかねないのです。
その意味においても、今、食の見直しは焦眉の急務なのであります。なぜなら『食が人間を作る』といっても過言ではないくらい、食は大切なものだからです。最後になりましたが、香山さん、田中先生に一言ずつお願いします。

香山
私は古代米に出会って人生が変わりました。これからも、古代米を通じて日本の農業の発展のためにお役に立ちたいと思います。

田中
『コメは日本なり』古代米の甦りは、先生の言われるとおり古代人からの日本国甦りのメッセージではないかと思います。

木原
本日は、台風のさなかの対談となりましたが、これは日本国甦りの神図り、天の啓示の嵐と信じております。お忙しい中、本当に有り難うございました。

台風の真最中での対談でしたが、香山田造長、田中先生のお姿が本当に輝いておられました。また、対談中、古代人の声が聞こえてくるような気がしました。『日本人よ目覚めよ!この美しい国を滅ぼしてはならない』と私も改めて古代稲を通じて農業の大切さとCMF地球運動の使命をますます強く感じた次第です。      
                                                             木原秀成