[社会づくり]人間環境事業の推進と援助

CMF対談

村上正邦 私の遺言 第1回

国策捜査と言われたKSD事件で、2年2ヶ月の実刑判決を受け、収監2日前の5月13日に対談

【村上正邦(むらかみまさくに) 元衆議院議員】
1932年福岡県生まれ。拓殖大学政経学部卒。80年に参院議員に初当選。 国会対策委員長を経て、宮沢改造内閣で労働大臣として入閣。 その後、参院自民党幹事長、議員会長を務める。 野党にも及ぶ政治的影響力から「村上天皇」との異名をとった。 KSD事件をめぐって2001年議員辞職。


新しい革袋
村上 やはり新しい革袋を作らないと、新しい発想は生まれてきません。 新しい革袋で新しい先を創る、意識改革をさせる、していかないといけませんね。 その為には政治に若い新しい血を入れないといけません。 その為には選挙制度、これを見直さなければいけません。 そして何と言っても政治改革、改革の本丸は政治改革。

小泉さんが「郵政改革は政治改革の本丸だ」などと国民を煽ったが、 これがそもそもの誤魔化しだったんですね。

木原 自民党を改革するという前に日本をぶっ壊した感は否めませんね。

村上 日本の本当に大事な部分を、彼はぶっ壊したんですよ。そして本当に冷たい世の中にしてしまった。

木原 そうですね。日本は一家(家族)の国を縄文時代から育んで来ましたが、 そういうものが、国中からだんだんと消えていく、 先生は情の国家論を説かれておられますが、政治の中からも消えていく、 危険な気がするのです。



真の保守とは
村上 だからそれを取り戻す、それを私は保守と言っているわけです。

木原 先生が保守の中の保守と言われている日本会議の設立に大変貢献されたことを
「我、国に裏切られようとも」
を拝読して知りましたが、 今の保守というものは、なにか違っているように思えてならないのですが。

村上 やはり真の保守というのは、切り払っていく勇気も必要ですね。 だんだん下向きになり、上を向く精神が無くなってしまって、 世界に迎合しながら、顔色を見ながら、保守の論壇をやって行く、 いまいち違うのです。

勇気といいますか、正義といいますか、大義といいますか、 守って行くのを保守と思っているけれども、そうじゃないんですよ、 朽ち果てたものは切り払って捨てていかなきゃいけません。

木原 私も先生が仰っているように、本来の保守というものは、 そういうものではないかと思います。

村上 寛容の精神も大事ですけれど、情と和というのを、 日本の国の一番根底にしていかなければならない事だと思っています。

木原 そういう意味において、政治は非常に岐路にたっている。 政界再編、平沼赳夫新党結成の噂もありますが、国家百年の羅針盤を持って、 舵取りをして欲しいのですが、政治に関わらず、来年施行される裁判員制度の問題も、 非常に不安なところがあります。



法治国家の危機
村上 それはそうですよ。
日本は法治国家でありながら、これだけの冤罪が出ている。 司法に対する信頼が無くなったら、法治国家の根底が崩れるんです。

しかし、僕は自分の裁判を通して、刑事被告人、刑を受ける立場ですよ。 あと二日もすれば、真実が裁判というもので明らかにされて、 無罪になると思っていました。
ところが、そういう真実には目を塞いで、 無実がイコール無罪ではないという事を、身を持って知りました。 だから、司法に対する信頼がない。 それじゃ国家は崩壊します。 苦渋の経験ですよ。また、貴重な経験です。

しかしその、経験者として、この経験を正直に国民に訴えて、 そして国民に本当に信頼される、国民が信頼できる正義の国、 法治国家日本を創っていく事も、私に課せられた大きな役割なのでしょう。 その為にこういう試練を与えられているのかと。

ですから収監される身の上ですけれども、木原先生にはおわかり頂けると思いますが、 私は千日回峰の行者になったつもりで向き合ってみたいと思っています。 どこまで、この境遇に耐えられるものか、自分を鍛えて、そしてこれに打ち勝って、 その精神力を持って、今の腐った司法行政に対して、正義という剣を持ってこれに当たり、 行けるか、いや行きたい、これからその為の修行、千日回峰だ、そういう心境です。



終りの始まり
木原 人が歴史を作り、歴史が人を作る、吉田松陰もそうですが、 歴史を創られる方々というのは、どこかに禊といいますか、 そういうものを背負ってるんですね。 本当にそういうことを先生が身を持って見せてくださる。 ある意味においては非常に過酷な試練であり、犠牲かも知れません。 けれど、今の日本にとってそういう方が出て初めて、 目を政治に向きかえるのではないのでしょうか。

先生が仰る、千日回峰、或いは行といいますか、 これは終わりの始まりという行なのだと思いながら、 こうやって間近に先生と対談させて頂いて、 先生の精神を少しでも受け継いでいきたいと思いまして、 収監2日前のこの日に『遺言』と申しますと失礼ですが、お時間を賜りました。



遺言
村上 今、色々なインタビューを受けたり、色々なものに書いたりしていますが、 これは私の場合、すべて遺言だと思っています。 人間っていうのは、いつ何時そういうふうになるのかわからない。 これは天命ですから。 しかし、今、生かされている事に、全精力を注いでいくという事が大事だと思いますよ。 それが、生き様として残っていく、残していくという事は遺言なんです。

そういう思いで今喋っていますから、遺言で良いと私は思うのです。 『今の日本でいいのかね』って、日本国の実相、 村上正邦の実相、この実相というものを真摯に学び、 そのまま顕現していく事が大事だと思っています。

木原 私も、日本に生まれて日本に骨を埋めることが喜べる国づくり人づくりの祭典、 第一回夢地球交響博を2005年9月に開催しました。

村上 国の命・人の命・一億実相の命・生きとし生ける命を慈しんで、 大切にして伸ばしていくという事が非常に大事だと思います。 先生がおやりになっている国づくり人づくり運動は私が代表を務めています 「日本再生一滴の会」と相通じるものがある。 そう思いますよ。

木原 まだまだ微力ですけどね。(笑)



一滴一滴の積み重ね
村上 だから一滴、一滴なんですよ。その一滴が大河に続いていくんです。 だから、木原先生、お互いにその一滴になって、大河を作っていきましょう。 必要とあらば、私の名前を出して下さって結構ですよ。 何としてでも一致団結して、この国を再生していかないといけない。

木原 ありがとうございます。心強い限りです。 諸神仏に導かれて、国づくり人づくり運動をやっておりますが、 なかなか反響を感じられないので大丈夫かなと不安になりますが、 先生のお顔を見ると『よしまたやろう』と、 元気が出てきます。

村上 すぐに現れるものじゃないですよ。またすぐにわかるものでもないんです。 わからないところに深い意味があるのです。

木原 一滴一滴の積み重ねということですが、難しいですね。

村上 これは歴史が、ちゃんと答えを出してくれると思うのです。

木原 「大和ごころ入門」という先生のご著書の心そのものですね。 先生の御遺言を大事にしながら、実相顕現を目指して精進してまいりたいと思います。 本当に貴重なお時間ありがとうございました。

村上 避けて通れない道なんだから、この道は。 火の川であれ、灰の山であれ、私はそこにロマンを見出して、 歩いていこうとこう思っています。 今更振り返って泣き事言ったって、始まらない。 叫んでも助かるものではありません。 前に歩いて行くしかないんですよ、木原先生。 力強く歩いて行きます。

留守をよろしく頼みます。

木原 頑張ります。本日は、有難うございました。