[経済づくり]持続可能経済事業の推進と援助

CMF対談


   日本には経済の雛形がある!今こそ経済と人間の統合を

木原
本日はお忙しいところをありがとうございます。藤井先生の幅広いこれまでのご経験を含めて、いろんなお話を聞かせていただきたいと思います。まず、ライブドアの不正疑惑についてお聞かせ頂いたいのですが。

資本主義と拝金主義
藤井
これは、今にして言うわけではないのですが・・・
堀江さんが出てきたときに、初めから金融テクニックだけの人ではと、指摘する人はいました。 国際的に考えると、マネーロンダリングというのがありますね。資金洗浄、汚い裏の金を表に出して使えるようにするというようなものが。 今、国際的に「テロ」が問題になっていますが、何をやるにもお金はいります。「テロ」をやるにも、お金がいるのです。テロ資金は裏金なわけです。 そうすると、マネーロンダリングと「テロ」コネクションというのは、表裏一体なんです。 これは、私の山勘なのですが、そういう非常に大きな国際的な裏金コネクションといったものが、堀江さんの問題にも関わっていると思います。

木原
そうじゃないほうがいいんですけども。

藤井
要するに、金融テクニックで伸びてきたわけです。看板はIT産業だけど、実はそれは1ぐらいで、虚業が9だという会社も、堀江さんに限らず、多いと思います。そういうのが表に出たということは非常にいいことだということです。 というのは、金融の分野は、日本人は非常に不得意な分野で、これから確かに伸ばしていかないといけないのです。

しかし、悪い芽は早く摘んでおいた方がいい。また、株式市場の整備ということでも、東京証券取引の取引業務不備の非難がありましたが、それも長い目で見ると、こういう事件が起きて、それに対応できるようにシステムがだんだんよくなってくるんです。 要するにウミを出すというか、質をよくするという意味で長期的にはいいことだと、考えた方がいいと思いますね。

木原
私は、宗教にも縁ある人間ですが、精神世界の視点から見ると、ポリシーとか哲学というのが、金にだけ向けられているようで、何かおかしいなっていう感じはするんですが。

藤井
どの国でもそうだと思いますけれども・・・・。例えば、今パッとしなくなりましたが、アメリカ車といえばヘンリー・フォードさんです。彼は、大衆車を作った一番の大元ですが、人間がトボトボ歩いているよりも馬に乗っているよりも、はるかに便利な機械で、世の中を便利にしていこうと考えた。 世の中のためにならなければいけないと思ってやって、結果そうなってきたのであって、これを売って、いくら儲かるという計算はしてないんです。そういう人間の努力の結果、産業革命があったんだと思います。

木原
社会のために経済があるという事ですね。今は、経済に人間が振り回されている。

対談風景
藤井
日本だって、戦後、本田宗一郎さんとか松下幸之助さんとかいう人たちは、みんな世の中に貢献したいという理想があって、戦後をリードしてきたわけです。 トヨタ自動車の元だってそうです。豊田佐吉が、お母さんが機織って大変だったから、自動織機を作って、それがトヨタ自動車の元になった。例えば財界でも、土光敏夫さんが生きている間は、そういう怖い人もいたし・・・

木原
財界の鞍馬天狗と言われた中山素平先生とか・・・

藤井
そうです。そういう人がいなくなってしまった。結果、今のような金儲け主義企業や経営者が増えてきた。 だけど、いろいろな企業家の方々にお話を聞いてみると、お金を儲けるというよりも、例えばこういう事業や夢があってこういうことをやりたい。その為に500人の社員がいるが、不況だからといって簡単に人は切れない。また、家族を入れて二千人養っていかなければいけないんだと。だから、それを作り出すために、いろんな仕事をしているんだという意識のある人と、現金だけがどれだけ入ってくればいいんだということとでは、全然経営が違うんだと思うのです。

木原
そうですね。 「企業とは何か?」ということが日本の社会の中、或いは経営者の中で薄れてきてしまって、「金儲けイコール成功」になっているようですが、先生のように世界的に幅広くご活躍されていますと、欧米型資本主義とか自由経済主義とかいうのは、実態としてそんなものなのでしょうか?


資本主義の基盤は宗教
藤井
今、中国大陸は資本主義ではなく拝金主義ですね。拝金主義というのは資本主義が生まれる以前から世界中のどこにでもありましたが、これは非常に問題です。 では、アメリカは拝金主義でできた国ですか?或いは近代の資本主義って拝金主義なんですか? というとこれは全く違います。

木原
私もそこのところが聞きたい。

藤井
実は、近代の資本主義というのは、西洋の場合はキリスト教ですけども、宗教の基盤があって生まれてきた。逆に言うと、宗教というものがはずれた資本主義というものは、成長やコントロールするものが無くなるのです。

木原
それはどういうことですか。

藤井
プロテスタンティズムというのは、キリスト教の中でも厳しい教えです。 神様からのメッセージ、要するに倫理・道徳を、内面化した人間というのがいて、ちゃんと契約を守る。言った事は 正直にやる。そして人の命を奪ってまでお金を儲ける方がいいということは考えない。 つまり宗教があって初めて自由な市場というのはできるわけです。ここに契約というのが成立するし、みんなが正直にやっているから市場は成立するんです。

だから近代の資本主義というのは、内面的な非常に強い宗教があり、利己主義や拝金主義をコントロールできるという前提で、自由な市場というものがあったんです。 そういう共同体があり宗教的な人間がいて、神様は人間に一生懸命働くことを求めている。決して浪費することではない。そして、浪費しなければお金は貯まります。そうすると、そのお金をどうやって次に投資するかという話になってきます。 そこに人間の道に沿った投資というものでなければいけない。それによって、近代資本主義というのは成立したんです。

今、単なる拝金主義、もっと言うとグローバリズムに対する反感は、欧米にもいっぱいあるんです。日本人から見ると、アメリカは拝金主義に見えますよね。

木原
イメージからするとそう見えます。


グローバリズムは間違いだった
藤井先生
藤井
日本でも、マスコミだけを見てるとそう思うけど、実はアメリカの中産階級や一般庶民の間で、何でもマーケット至上主義でいいのか、安ければどこから買ってきてもいいのか。全部仕事を、フォードでもGMでも中国へ持っていってしまうのかと、それはおかしいでしょうとなっている。

それから、アメリカの人口の2%位しかないのですが、国の根幹を支えている個人農家も、今どんどん潰れてるんです。 アメリカのエンロン事件の小さいことをやっているのが、ライブドアと言えるかも知れませんが。会計上の不正なども、とんでもないと非難されている。 クリントン時代、企業は金儲けのための道具だという時期があって、どんどん首切りをやる。アウトソーシングで、フルタイムで勤めている人の首を切って、臨時の安いパートタイムを使う。 はっきり言って社長も含めて全てパートタイム。そんなことで会社がうまくいくはずがない。

木原
そうですよ。責任なんかなくなってしまいます。

藤井
おもしろいことに、グローバリズムを進めたらみんな幸せになると思っていたら、そうではないと、最貧国の方も困ると・・・。グローバリズムの方がおかしいんじゃないかと、ノーベル経済学賞受賞者のアメリカ人スティグリッツという人が言い始めました。 彼は昔はグローバリスト派だったんです。大統領府に入って、クリントン大統領の経済諮問委員会委員長を辞めた後、世界銀行の実務にかかわった。世界銀行のエコノミストも経験したのです。その結果、おかしいということになった。 だから、単純な市場原理主義、グローバリズム、拝金主義、そういったものに対する反省は、ヨーロッパでは勿論強いものがあるし、今まで「勝ち組」と言われていたアメリカの中でも、非常に大きな反省があると思うんです。

先ほども言ったように、欧米は宗教という規範の上に常識というのが成立するわけですが、市場原理主義が大きくなってしまって逆転したような状況が続きました。レーガンさんが当選した25年位前から、アメリカのスピリチュアルなものに対する回帰が始まりましたが、それが今のアメリカの保守の思想です。 神とか宗教を求めるという動きは日本のマスコミは報道しませんが、私は非常に強いものがあると思います。

木原
日本は、アメリカの一周遅れ位で自由化・グローバル化をしようとしている。結果は見えてますね。 しかし、一昔前までの日本にも、仕事を通じて神になるというか、「経済と人間の統合」という経済観がありました。私もそういうのを教えているのですけど・・・・それが最近は、非常に希薄になってきているような気がします。


経済の雛形は日本にあった!
藤井
ヨーロッパ、アメリカを含め先進国では、商売というのは倫理というものと表裏一体なのですが、不思議なことは、それを非常に発達させたのは日本だと思うんです。

木原
私もそう思います。江戸時代の石門心学はまさにそれですね。

藤井
幕末以来、西洋の近代資本主義が入ってきましたが、既に商人道徳というものが日本にはあった。 契約精神・公僕精神そして法治主義の精神などが、江戸時代までに相当完成されていた。だから、日本の近代化はうまくいった。
今の発展途上国でも一番スピリチュアルなものがなくて、そこに形だけの資本主義をもってくると、形だけの資本主義イコール拝金主義になってしまう。ここが非常に怖いところですね。中国などその最たる例です。

木原
同感です。私は日本の経済学は、今の欧米型の正統経済学からは認められないしれないが、逆に日本の経済学をもう一度見直す価値があるのではないかと、思うのです。

藤井
根本的な話をすると、今の経済学はイコールマネー学というお金の経済学だと思われているんです。 また、近代の経済学というのは、そのお金という単位で計る計算可能なものしか考えていないです。

木原
そこが問題ですね。

藤井
しかし考えてみれば、物々交換の時代には、別に通貨がなくても人間暮らせていけたし、人間が豊かに暮らすということでは、通貨は、あくまで補助的な道具です。お金がなくても人間はちゃんと衣食住ができて、こころが豊かに暮らしていけば、豊かな生活はできていた。 近代経済学の間違いは、経済現象はイコールマネー現象だと考えてしまったところです。

木原
手段が目的になってしまったのですね。

藤井
これを正さないといけない。 日本では戦後、一種の拝金主義というのが非常に蔓延った時期がありました。 一種のニヒリズムというかお金がすべてということですね。高度成長期を経てバブルが崩壊して、金融敗戦と言われましたが、今の現象は、その昭和20年代と同じニヒリズムを見ているような気がするんです。

ところが、やはりそれは違う。松下幸之助なり、本田宗一郎なりの企業社会でなければいけない。 だから、始めに言ったように、本当の実業と金融テクニックだけの虚業のふるい落としをやっていく時期に入ってきたのではというのが、私の感想です。

木原先生
木原
経団連、或いは経済同友会、或いは商工会議所などは、その見極めを厳密に査定し、本当にそこまで踏み込んでいきますかね?

藤井
ないでしょうね。儲かった人をメンバーに入れようという感じがある。

木原
経団連が必ずしも間違っているとはいいませんが、、だからと言って、その虚業と実業の見極めもできないで、入れていくというようなことは、何と言いますか・・

藤井
見識が問われますよ。 昔で言いますと、私は昭和27年の生まれですから、現実的に知りませんけど、財界には石坂泰三さん、それから先ほども言いましたが土光敏夫さん。単純に言うなら、ご覧になったらわかるんですが、石坂泰三だとか土光敏夫は、顔が怖いです。岩石みたいな顔しています。眼光鋭く善悪を見抜く洞察力は凄かったそうですよ。(笑)

木原
そうですね。(笑)

藤井
怖いですよ。 当時、石坂泰三は昭和30年代でしょうけど、外国の経営者などに会うと、外国の経営者などがみんな石坂泰三さんを非常に尊敬していた。というのは、国家は、どうあらなければいけないか。そのために経済は企業は、どうなければいけないという非常にぶれない中心軸があった人です。個人ではなく、社会を豊かにということがあった。

木原
そういった意味での、本当に「怖い」という方が、少なくなってきているんですね。私なども、今先生がおっしゃったようなことを基本に経営者の方に教えていますが、時々私のやっていることは何か時代錯誤ではと思ったりするんです。 しかし、やはりそういったところに原点や座標軸をおいておかないといけないと思っています。正直な話、それは大変です。

アメリカも今のグローバリズムとか拝金主義を反省しているとお聞きして、安心しました。そうでないと、このままの欧米型資本主義が続けば、人類・万類は破滅しかねませんし、国家も経済によって破産しかねませんから。


国づくり人づくり日本文明は世界をリードし得るものが内包されている
木原
先生は『這い上がれない未来』という著書を書かれていますが、日本がこれから格差社会・階級社会をむかえるということについてどのようにお考えですか?

藤井
一億総中流社会と言われてきましたが、これからはお金持ちと貧乏人がはっきりしていきますよ。日本にはこれまで階級制というのは存在しなかった。 しかし、これからは固定化された身分というのではなく、いわゆる「勝ち組」と「負け組」とが、別れて暮らす社会とでもいいますか、私は「新・階級社会」と呼んでいますが、そういう社会が来ます。今の内閣は改革・改革と言っていますが、格差拡大は今の改革を進めても解消しませんよ。

木原
それは何故ですか?

藤井
輸出産業でアメリカへの日本の輸出量は、この10年で半減しているんです。つまり、それだけ仕事がなくなった。これがリストラやニート、フリーターを生み出し格差に繋がった。日本が減った分、中国からの輸入が増えている。ご存知の通り、中国は人件費が安い。日本の30分の1で働く人が何億人もいるのです。

格差拡大のもう一つは、「IT社会」です。これも単純で「効率を優先すると非効率は切り捨てられる」のです。肉体労働では、あまり人と人との差がでない。しかし、IT社会では「能力の差が貧富の差を生む」のです。

木原
そうですね。今後もIT化は国家政策で進められますから、さらに格差拡大になると懸念されますね。では、先生から見られて、日本という国は今後、アメリカとの関係や問題・政策など、部分も含めてトータル的に、どのように考えていけばいいのでしょうか?


日本人精神性の溶解
藤井
長期的に見たほうがいいと思っています。幕末から明治に開国という形で、日本は近代化を進めましたが、それ以前の15~16世紀に入ってきた西洋文明を、一回ちゃんと日本流にこなした基礎があって、西洋の植民地にもならず、日本の近代化に成功したのです。これは、アジアのみならず発展途上国に大変希望のもてることでした。

去年は日露戦争戦勝百周年でしたが、それまでの五百年間、世界は白人の天下で、ヨーロッパがアジア、アフリカの植民地化を進めていた。 しかし、それが、漸くアジアのそれも非白人の国が勝ったことで、ヨーロッパの国でない独立国、日本がその五百年の流れをストップした。

木原
戦争の是非はいろいろありますが・・・。

藤井
しかし、その後が悪かった。明治の人たちが作った学校のエリートシステムで、日本のトップを全部試験秀才が占めていった。昭和10年代頃になると、日清戦争・日露戦争を勝ち抜いた知恵もないし戦略もない、叩き上げ派が一人もいなくなってしまった。その結果、丁度幕末位から生きてきた人から言うと、三代目位で家を潰してしまった・・・・という感じがするわけです。

木原
同感です。一代目が頑張って創り上げ、二代目はまだ先代の目が光っているが、苦労を知らない三代目位が、放蕩息子で家をつぶすというのがありますから・・・(笑)

藤井
ただ、昭和20年の敗戦時に、当時二十歳とか三十歳位の人達は、まだ日本人の根幹を支えてきたスピリチュアル(霊性)な価値観や精神性というものをしっかり持っていた。日本人の『国家意識』にも筋金が入っていた。 そういう人たちが必死に頑張って、戦後の経済再建をやったのです。終戦の昭和20年は1945年で、45年経つと1990年です。当時、25歳の人は70歳です。そこら辺で、戦後の世代をリードしてきた方たちは、全部第一線から引いていかれた。

その為に先ほども申し上げたスピリチュアル(霊性)な価値観や精神がなくなってしまった。結果、政界も経済界も含め軸がなくなってしまった。 ところが、戦後45年は、不思議なことに丁度バブルのピークなんです。また、国際的に言うと冷戦が終わった年でもあるわけです。

アメリカとソ連が戦っていたから、そういう意味で日本は優遇されていたんです。その枠組みが取っ払われる。アメリカからすると、気がついたら日本は非常に豊かな国になっていた。マーケットも国際的になった。 アメリカの半分位の規模に日本もなったから、俺たちも稼がせていただこうということになった。それと、アメリカは物作りではコスト的な面も含めて、難しくなっていますから仕事は金融ぐらいしかないんです。そして、金融とか保険で日本を攻めようということになった。
 
日本の金融業界からすると、それまで大蔵省を中心にガチガチに守っていたので、力で解放させられるという感じがするわけです。しかしその前の70年代80年代は、日本はアメリカの市場を工業力で相当荒らしまわっていたんです。そういう意味では「因果応報」というのがあるんです。

木原
まさに今の中国がそうですね。

藤井
立派な日本人になるということは、立派な世界人になるということですが、かつての日本の経営者は本当に純粋な日本人としての教育を受けてきたので、立派に世界に通用した。しかし、今の経営者は日本人としてのきっちりした基本、特に、精神的な軸を失って、常に漂流するような存在になってしまった。だから単に経済が悪いということではなく、大雑把に言うと、今見えないかたちで日本人自身の精神性が溶解していると思うんです。

木原
伝統的な日本の精神性とか霊性が、例えば礼節だとかいうことも含めて、私も本当に崩れていると思います。それは、経済がそうしたのか、或いは生物的・精神的・宗教的にも退化していったのか、それなりの理由はあると思いますが、そういうことをつくづく感じるんです。果たして、これからの日本は、将来性があるのか?或いは、順番からいうと、何を真剣にやらなければいけないのか?経済を含めいろいろあると思いますが、いかがでしょうか。


何から始めるか
藤井
現象を見ると絶望的なことが多いです。教育がダメになったとも言われますが昭和20年代に日教組教育というのが始まった。その教育を受けた人たちが大きくなって親や学校の先生になる。そしてその子供たちがおかしくなってるわけです。
教育の問題などは恐ろしくて、結果が出るのに非常にタイムラグがあります。

木原
今やったものは、結果が出るのに20年、40年或いは50年かかるといわれますね。

藤井
20年位前、小野田寛郎先生(※1)が、初めは金属バットで親を殺してしまったという事件を見て大変だと感じ、自然塾をお始めになりました。やがて子供を教えていたけれども、子供だけを教えていてはダメだ。親が変わらなければ子供だけやってもしょうがない。親も一緒に教えなければ、という方針になったそうです。

(※1)小野田寛郎
大正11年和歌山県生まれ。昭和17年和歌山歩兵第61連隊に入隊し、12月ルバング島に派遣され遊撃指揮・残置謀者の任務を与えられる。(以来30年間、任務解除の命令を受けられないまま戦闘を続行)
昭和49年 作戦任務解除命令を受け、日本に帰還。その後、ブラジルに移住し10年かけて牧場開発を軌道に乗せる。
昭和59年 ルバング島の経験を生かし、キャンプを通じて逞しい青少年育成のため「自然塾」を日本で開く。平成元年 財団法人小野田自然塾本部設立、理事長に就任。平成11年文部省大臣より社会教育功労賞を受賞する。


皇室典範改悪は日本の技術力を下げる
藤井
例えば、皇室典範問題ですが、皇室は日本人の精神的なものの軸であって、皇室典範が改悪され皇室が揺らぐと、日本の経済はダメになります。

木原
私もそれを危惧していますが、先生はどのようにお考えですか。 

藤井
日本の経済は、人間同士や企業同士が信頼しているという長期的な信頼関係を基礎にやってきました。そのすべての元は、日本人の精神性なんです。その心を支えているのは、天皇を中心とするひとつのファミリーとしての日本民族という考えなんです。欧米人は株式会社は金儲けの道具です。日本人にとっては、株式会社は従業員の運命共同体なのです。

木原
私もそう思います。

藤井
従業員の運命共同体があるから、日本の技術者は、終身雇用の中で安心して自分は会社のため社会のために技術開発をやるといって、日本の製造業の高い技術があるわけです。だから、安易に皇室典範を改悪したら、日本の技術力は落ちますよ。これは単純な因果の法則です。経済だけがあればよい、心は関係ないかというとそうじゃない。

木原
人間というのはひとつの大きな家族でつながっていますからね。

藤井
日本人はそれを信じてやってきたんです。それがなくなったとしたら、唯物論が益々広がってしまいます。 秋篠宮妃殿下紀子様のご懐妊で、いったん落ち着いていますが、皇室典範改悪に対して、日本人に出てきた抵抗感が、益々増大してきています。
 
木原先生もご存知のように、女性の天皇と女系天皇は違うことがはっきりわかってきた。二千何百年も続いてきたものを変えるのはおかしいではないかという常識が世の大勢を占めてきた。法律では書いてないことを日本は不文法・不文律でやってきた。世の中で一番大事なのは不文律です。それを侵すということは、いかにもおかしいですよという常識・良識の声が勝利してきたのです。これを見ていますと、私は日本は捨てたものではないと思います。これは日本民族のひとつの試練で、こういう苦しい時期を経て、もう一度日本の精神の中心だったものを見つけなおし、そこに戻ってこないと経済だって、政治だってうまくいかないと思います。

木原
日本は天皇制を中心とした皇道の国であり、家族制度の中心的な存在としての天皇制・皇室という、根本基盤が崩れていくような気がしています。そうすると、仰るように経済も含めあらゆるものが崩れてくるのではないかと思うのです。

藤井
大概が、ニヒリズムになり、人がまったく信用できなくなりますよ。 前回も言いましたが、西洋は個人主義というのがあり、その個人主義を支えるキリスト教という仕組みがあったんです。アメリカ社会の原点は宗教なんです。イギリスの国教会がいやだという人たちが、新天地で自分達の宗教・信仰を守りたいといって造った国ですから。しかし、その後60年代にキリスト教社会を否定するような動きが起こった。

そしてそれが一種の拝金主義をアメリカで流行させてしまった。それに対する大きな反省が、レーガン時代くらいから、キリスト教の原点に戻ろうとなった。だからアメリカは、あんな唯物論的な国はないという一面と、それと拮抗してバランスをとる為に、キリスト教に戻らないといけないという人々の国でもあるんです。

そういう意味では、アメリカも試練の時期ではないでしょうか。しかし、今後教育がよくなって、その効果があらわれるには、これもまた、10年20年30年かかりますから・・・・日本の場合もこのままでは、国も人も駄目になっていまうのではないかと危惧しています。

木原
私も同感です。多くの諸先生方が同じ様なことを危惧しているのですが、笛は吹いても具体的な行動を起こす人はほとんどいないような感じがします。  起こせばそれがいかに大変であるかがわかっているからかもしれませんが、かといってこのまま放っておけないから、誰かがやらなければいけないということで、私もこういうことをさせていただいております。


日本人のDNA
対談風景
藤井
私も今、二つの大学で非常勤講師として、大学生百人弱に話をしていますが、すべてがすべてというわけではないんですが、結構メッセージが伝わるんです。今の人は日教組の教育が希薄なんです。その点では、大人が必死になって、正しいが格好悪いこと、バカみたいなことを一生懸命やると、必ずついてくる者がいます。
 
木原
日本人の縄文のDNAは死んでいないということですね。

藤井
縄文の時代は、日本人の原点ですから。まだ日本人のDNAは死んではいません。私も時々イヤになりますけど、志を奮い起こして、日本という国が信じられる、そして世界に対して役割があるということを確信しています。

木原
私は、最近日本人の中に、何か国家観というものが薄れているのではないかと思うことがあるんですが・・・

藤井
それはもう、これだけやられてきたんですから薄れているのは当たり前ですよ。
だから、もう少し濃いものを、それぞれの気がついた方が、それぞれの主となる場で、がんばるしかないです。


日本文明は超宗教的
木原
先生もお書きになっておられますが、私は、今こそ日本の文明史観とか歴史観というのを見直すべきであり、また、世界の模範になり得るものが内包されていると確信しているのですが。

藤井
その通りです。この国は一神教ではありません。クリスチャンでも、仏教徒でも、数少ないイスラム教徒でも何でもいいんです。宗教ではありませんが漢民族の伝統的な儒教も受け入れている。そういう超宗教的というか、こういう言い方は傲慢かもしれませんが、日本という国は、お釈迦様も孔子も両方を生かしているというすばらしい国です。世界はキリスト教もイスラム教も同居していかなければ、うまくいきませんから。

木原
同感です。私も、あらゆる宗教が集まれるテーマパークのような場を作りたいと思っています。大変なことですが、広島という世界平和のシンボル都市としての知名度もありますし、こういうことができるのは、多分日本しかないと思います。  
そして、先生が仰るようにもう一度日本の原点を早く見直していかなければと思います。そういった仕組みを経営や家庭に生かすとか、具体的なことをやろうということで、CMF地球運動に取り組んでおります。先生のような幅広い見識の中から、これからもいろいろな点でご相談、或いはご指導いただきたいと思います。

藤井
ご協力できることでしたら喜んで。

木原
悲劇的でも、見方を変えれば、胎動というか、新しい何かが生まれていく、或いはお産で言えば何かが生まれる前の陣痛のような、現代の多難な問題はそんな風に考えているのですが。

藤井
私もそう思っています。

木原
私もそういう気持ちで挑戦していますので、ちょっと安心しました。 本日は、貴重なお時間を割愛いただき、ありがとうございました。


藤井厳喜 プロフィール
1952年東京生まれ。国際問題アナリスト。77年早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業し、85年までアメリカ留学。クレアモント大学院政治学部を経て、ハーバード大学政治学部大学院助手、同大学国際問題研究所研究員を歴任。現在㈱ケンブリッジ・フォーキャスト・グループ・オブ・ジャパン代表取締役、拓殖大学日本文化研究所客員教授、日米保守会議理事・事務局長。82年より近未来予測シンクタンクであるケンブリッジ・フォーキャスト・グループ代表取締役として月1回「ケンブリッジ・フォーキャスト・レポート」を発行している。

【著書】
『ユダヤ人成功者の知恵に学ぶ 這い上がる力』 PHP研究所
『葬られるサラリーマン』 ベストセラーズ
『2008年日本沈没―誰も語りたがらないシナリオ』 ビジネス社 
『米中代理戦争の時代』 PHP研究所
『這い上がれない未来』 光文社 
『ユダヤ人に学ぶ日本の品格』 PHP研究所
『「国家破産」以後の世界』 光文社
『石原慎太郎総理大臣論―日本再生の切り札』 早稲田出版
『ジョージ・ブッシュと日米新時代―アメリカの対日政策大転換を読む』 早稲田出版 他多数