9つの立国構想

CMF対談

  
   国づくり人づくり勝手連設立記念対談


マニフェスト立案
木原
この度は、当財団の特別顧問に就任いただき、ありがとうございます。
早速ですが、光永会長は沢山の政界財界人脈がおありで、38年間勝手連の活動をされていますが、この度の民主党の大勝をどう分析されていますか?

光永
例えば今、物流もそうですが、製造元・卸問屋・小売り店があり消費者がいます。最近は間を抜いて、消費者と直結する流れで、また生産過程がはっきりしないと安心して買わない。 
それと同じで、この度の選挙の大きな特徴は、派閥や政党を通して伝える仕組みの公約を、政治家と有権者がマニフェストを通じて直接見て聞いて触れる選挙、政治家が直接訴える機会を持ったことです。
 
私は2000年ごろから、日本の地縁・結縁や組織・組合・企業などのつながりが強い政治の体質に疑問を持ち、諸外国の政治を研究しはじめました。
それは、勝手連はこれまで、何人もの政治家を当選させてきましたが、当選後の公約に対する責任が感じられない。すると、4年後には、引きずり下ろすしかないわけです。
 
だから立候補する前に、有権者と政治家の間で選択基準になるものを研究するうちに、マニフェストという政権の契約書にたどり着いたのです。例えば公約した「明るい社会」を、具体的に何をいつするのか、予算はいくらかなど明確にするわけです。

木原
4年前の選挙の頃から聞くようになりましたね。

光永
はい、各政党にこの話を持って行ったのですが、当時は日本には公約があるじゃないか。マニフェストとは何が違うのかということを言われました。

木原
マニフェストは、三重県の北川正恭元知事が有名ですね。

光永
彼に呼びかけたのは私たちです。それで、マニフェストとフェスティバル(祭り)を掛け合わせたマニフェスタをしようと。各政党の政策公約を出して、党首や幹事長と運動家のフォーラム(東京代々木公園でのフェスティバル)をしました。すると思った以上に面白かったのです。
しかし、自民党は具体的な予算や達成期限を明確にすると、自分の首を絞めるようなことになるのでは、ということで足踏みをしました。総務省も公選法違反の疑いがあるということになり、マニフェストの研究が遅れました。
民主党は若い政治家が多いこともあり、マニフェストの研究に入りました。無料で配ると違反ですが、販売すれば良いということで、冊子にしたのです。結果、今回の選挙にも、この時のことが大きく影響しているのではないかとい思います。

木原
新しい選挙の形ですね。

光永
マニフェストは有権者と政治家の契約ですね。まだ経験のない政治家でも、具体的な公約があるわけですから、これを見て一度させてみよう、ということではないですかね。
電車の中でも手に持っているマニフェストはほとんど民主党でしたね。自民党のはほとんど見ませんでした。
しかも若い人が読んでいるのです。これは、今までと流れが変わってきましたね。

マニフェストの前提条件
勝手連関係資料木原
日本の社会は古きに新しきを重ねて、新しいものを作っていく十二単衣の共生的保守的な社会で、文章化せずに、その時の状況に応じて臨機応変に即応してできた国だと思います。確かに国家のビジョンを出すときには、マニフェストのように、より細かい具体的なことが必要であると思いますが、このような理論的・革新的なものは、それまでの良いものもばっさり捨ててしまう傾向があり、人と人とのつながりや、日本人が積み重ねてきた義理人情という、大切なことまで薄れてくるのではと心配になります。


光永
それは、私も非常に感じています。私は政治家が何より大切にしないといけないものは「情」だと思っています。
どれだけ公約が守れたとしても、「情」を前提とした政治でなければダメですし、実際に「情」のない政治家は長続きしません。

木原
善悪損得からみると、悪いことをする子供はいけないわけです。しかし、母親からみれば、どれだけ悪い子供でも我が子を捨てられない。悩みや葛藤がある中に、人間として非常に大切な部分があると思うのです。

光永
実は、私たちは全選挙区の事務所を訪ねて行う儀式があります。突然尋ねていき、神棚に向かい、その先生の政策や気持ちが有権者の皆さんに届きますように、一緒にお祈りしましょうと言います。
すると、素直にそれに従う所、ただ飾ってあるだけだと言わんばかりの所、神棚のない所もあります。それをすべて報告書にします。神仏を大切にして、そして人々の幸せや平和を「祈る」という気持ちが大切なんです。人々の幸せを祈ることなく、マニフェストを作っても、それは人の心に響くはずがないです。また、不思議ですがこういう人は落選しています。

木原
日本は、そういったことが、うまくバランスのとれていた国だと思うのです。しかし戦後60年余り、政権与党だった自民党はこの度の大敗を反省し、保守本質の原点に帰ってもう一度再生していただきたい。また、民主党は新しいやり方に、日本の伝統的なものが生かされれば、バランスのとれた国になると期待しているのですが。 しかし、自民党の皆さんも予想した以上に、民主党が圧勝したので、事の重大さに慌てているのではないかと思いますよ。

勝手連の原点は宮古島
木原

話は変わりますが、勝手連運動の原点は何ですか?


光永

人は、自分を愛している幅で人を愛します。だから、自分を愛せない人は、他人も愛せず、自殺したり人を殺したりすることにもなる。現代は、自己表現できる自己愛がなくなっています。
私の原点は、自分で自分のことを一生懸命考えて、個人の責任で意思表示し行動する。何もせず責任ももたないのはおかしいですから。だから勝手連は沖縄の方言で、ワンカッテ(私の勝手)、ヤーカッテ(あなたの勝手)、ドゥカッテ(私ひとりの勝手)、ワッターカッテ(私たちの勝手)と言います。

しかし、実際は自分勝手にやっていけるものでもなく、バランスも必要です。
日本の選挙は、投票に行く前から、組合企業だからとか親戚だからと言って、○○団体は△△さんを応援すると決まっていますよね。これはある意味憲法違反・選挙違反です。秘密投票は保証されなければならない。 それを乗り越えて行く為に、情を前提とした意思表示と自己の責任がいるわけです。


木原
会長が、お母様の米寿祝いとして出版されたご著書を読ませていただきましたが、お母様の存在は随分大きいと感じられました。

光永

勝つ極意 勝手連バイブル今の私があるのは本当に自由奔放に育ててくれたおふくろのお陰ですね。
それと、年に何度か台風ですべてがなくなる宮古島のお陰です。台風は風だけですから、亡くなる方もいないし、幸い身体だけは残ります。 しかし、すべてがなくなるので、なにくそと言って、みんなで協力して農作物を植え直したりします。それが年中行事になるわけです。 ただ、台風が来ると本土から日用品・学用品(救援物資)を送ってくれるので、新しいものを手に入れられるのは楽しみでした。みんなが避難するコンクリートの小学校の教室で、いただいたものを分かち合っていました。

光永 勇(みつなが いさむ)


光永 勇(みつなが いさむ)プロフィール
全国勝手連連合会会長。1952年沖縄・宮古島生まれ。高校時代に祖国復帰・反戦運動の活動家として活躍、高校生一万人行動を展開、祖国復帰運動において逮捕され、高校を除籍。それに伴い故郷において私塾「宮古大学」を開設。その後「沖縄文化新聞社」をはじめホテル経営、健康環境関連産業他、様々なビジネスを展開するとともに、勝手連運動に本格的に取り組む。数多くの選挙にかかわると同時に全国勝手連連合会の設立に尽力し、91年会長に就任。勝手連新聞、勝手連放送局の代表。また、年一回のイベントには一万人が参加する(世界では5億人規模といわれる)環境保護運動『アースディ』の実行委員長を20年続けている。