9つの立国構想

CMF地球運動提唱者 木原秀成




破滅か継承(創造)か? 地球・人類(万類)に危機的な
グローバリズムは世界中を巻き込んで、現代社会に様々な難問を引き起こしてきた。

人類の歴史が大きく転換してきたように、現代社会を次の時代を迎える手前のサナギと捉えるなら、どのように転換するかによっては、サナギのまま死んでしまうか、新しい社会を創造できるかのターニングポイントと言ってよいだろう。

現代社会はまさに、破滅か継承(創造)かの選択を迫られており、この度の原発事故ではないが、もはやあらゆる理論やシステムは制御不能状態と言える。

では現代社会はどのようにして出来たのだろうか。現代社会の問題の根源には「経済」があるので、その時々の社会の変化と合わせて、左頁の表を元に人類の歴史を振り返ってみようと思う。

人類の歴史は、農猟社会→産業社会→情報社会と移行してきた。社会の発展にはいろいろな要素があるが、大きくは経済的価値と精神的価値のバランスを取りながら栄えてきたのだ。

第1の社会(農猟社会)
自然と共生してきた社会から、人類の歴史は始まった。
原始時代はトーテミズムという、岩や木や自然への畏敬や崇拝が、心の制御装置(宗教)となって、社会的な生産出力の対極にあった。

しかし、石や木とか迷信めいた事では駄目だという事で、基督教・回教・ユダヤ教・仏教・ヒンズー教など、色々な宗教が発生する。一神教や多神教という違いはあっても、財欲・権力欲・名誉欲など限りない人間の欲のコントロールを、宗教が担ってきたのだ。

また、文明はヒマラヤ山脈を境として差が出てくる。西の文明は、別名砂漠の文明と言われ、自然の恵みが少なく緑も少ないため、人々は自然を開拓せざるをえず、生活の糧である食料も動物的なものを求めて、各地を狩猟していくようになり遊牧民族となった。

その結果、自然を征服するという思想が生まれ、物質中心の唯物的社会は、欧米文明と呼ばれるようになる。

逆に、東の文明は森の文明と言われ、自然の恵みが豊富で、自然に順応していれば生活ができた。したがって、その土地に住みつくようになり農耕民族となったのだ。

その結果、自然に順応するという思想が生まれ、精神中心の唯心的社会となったのである。これが東洋文明だ。

この東西の文明の差を基盤にして、人類は大きな変化を遂げていく。

とはいえ文明に違いは出ても、人々の生活は自然との関わり合いの中にあり、自ずと生命の尊厳とか、心のふれあいとか、助け合いだとかいうものを大切にした社会だった。

第2の社会(産業社会)
ヨーロッパで起こった産業革命を機に人類は産業社会へ大転換した。それは農猟社会の「生命あるもの」との関わり合いから「生命なきもの」との関わり合いへの移行だった。

経済も物々交換から貨幣へ。そして、物の豊かさは重視しても、生命あるものの大切さを次第に失っていった。

個人の欲望を基本とした自由競争の経済生活を主張するアダム・スミスの『国富論』は、産業をおおいに発展させた。

しかし、個人の自由意志で資本を投下することによって、やがて強大なる資本に生産機関ならびにその権益が独占される資本主義経済が生じてきたのだ。

一方、資本をそのままにしておけば、弱い立場にある労働者を搾取することがわかってきたのだ。そこで、個人の自由な欲望に社会的な制約を加えるのみでなく、むしろ資本の個人所有を認めず、社会ないし人民の共有に移して利益を公平に分配しようとする、社会主義を中心としたマルクスの『資本論』が、世の注目をあびるようになった。

かくして、自由民権を基本とするアメリカを中軸とした、資本主義経済圏と、個人の自由意志に制約を加え、すべての機関を国家社会の公営に移し、個人を隷属せしめていく旧ソ連や中国の社会共産主義経済圏との対立となった。

第3の社会(情報社会)
ところが昭和48(1978)年の第2次石油ショックを契機に情報社会に入った。人々はようやく機械や組織に動かされてきたことを反省し、より人間らしく生きることの大切さを求め始めたのだった。

1973年にハーバード大学名誉教授のダニエル・ベルは『脱工業化社会』という著書の中で、情報化社会の予測をしている。

しかしながら、このような社会情勢の変化も、結局は欧米文明の物質中心の勢いを止めることはできず、市場経済主義に価値観が偏重し、宗教も呑み込まれていったのだ。

マクロ的に言えば宗教的価値が魅力を失って、心のブレーキが効かなくなり、お金を盲信する余り、制御不能状態になったということだ。

日本も、明治維新以降の文明開化のもと、文化や伝統を捨ててしまい、欧米文明を模範にして栄えてきたのである。

当時の先進国であるヨーロッパを視察した岡倉天心は『東洋の理想』という著書の中で、日本文明・文化の方が奥が深いと警告したのだが、今になって後遺症が出てきており、難問が山積みし全てが行き詰まりの段階にきている。