| 人生が変わった!
平塚加奈子(広島)
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ご縁をいただいて
私は、専門学校2年生の20歳の時、運命創造学を学ぶご縁をいただきました。
縁をいただくまでの私は、学校でいじめにあい人間関係もうまくいかず、何もかもが面白くありませんでした。いじめにあって、人と会うのが嫌になり家に籠ったり、親に学校に行っていないのがばれないように友達の家に行ったり、ネットカフェで過ごしたりしていました。鬱病の傾向もあり、カウンセリングに通い治療をうけ、外に出る時や学校に行く時は、“飲むと気分が楽しくなる薬”を服用しないと外出できないほどでした。

その頃、母は運命創造学を学んでいたので、私の現状を察知して「入りなさい」と。私が「イヤだ」と言っても、強制で入会させられました。初めのうちは行座するのも億劫で、とにかく知らない人がたくさんいる、人間がいるところに行くのがとても嫌でした。
自分の時間が削られるのは嫌だ。友達の家に遊びに行きたい。ゲームがしたい。行くとお腹が痛くなるから・・・と不満ばかりでした。
そんな時、何かの集まりで、自分が今、思っていることを発表する場がありました。私は泣きながら「何もできないし、続かない」「遊びたいし、自由にできない」などと心のたけを言いました。この時は本科Ⅱ (自己改革編)まで受講していて、それまでに教えていただいた行を何度も挫折していた頃でした。何もできないので、やっていても無意味じゃないか、などと考えていたのです。
しかし、楠葉研究員から「無理にする必要はない。苦しいのだったら遊べばいいし、自由にしたらいい。強制ではないから」と言われ、「できない、でも、しなくちゃいけない」と苦しんでいた気持ちが、肩からすっと下り、楽になった気がしました。
何かが変わった
その日を境に、嫌々行っていた行座も行く日を決め、少しずつ行く回数を増やしていきました。そして最後の本科Ⅳ (自己完成編)までを受けてから考え方が少しずつ変わり、カウンセリングも行くのをやめ、薬も飲まなくなりました。 そうして少しずつ外にも出るようになり、学校にも行きはじめたのです。
自分の中で何かが変わったのです。
それからは不思議なことにいろいろなことが良い方向に進んでいきました。 専門学校の時にしていたアルバイトは、電工看板の会社の事務・留守番だったのですが、あまりすることもなく、暇をもてあましていました。やり甲斐のない仕事なので辞めて次の仕事を探そうとしていた時に、父が通っていたスポーツジムでアルバイトを募集していることを聞き、そこの仕事を始めることになりました。
インストラクターのような仕事で、私が一番苦手としている「笑顔で接客」「いろいろな人が出入りする」「会話をしなければいけない」の3点セットでした。昔の私だったら絶対やりたくない仕事のトップ3に入るのですが、その時は“苦手だけど、自分に足りないものが与えられているんだ。頑張ってやってみよう!”という前向きな気持ちで取り組むことができました。
そこで、いろいろな人と話しができるようになり、笑顔も自然と出せるようになっていきました。毎日通って来られていた女性の方から、「加奈ちゃんは最初の頃と比べたらかなり変わったよ」と褒めていただき、自分ではあまり実感できていなかったのですが、他人から言われたので、そうだったんだろうと思います。
無事に就職できて
そのバイトをしながら、次は就職活動でした。学校で合同企業説明会があり、私は、 web系の仕事を探していました。そこで、先生に教えてもらったのが、東京に本社がある会社でした。しかし、話を聞くと全くweb系の会社ではなく、プログラムを作成する業種だったのですが、興味があるなら1度来てみてくださいといわれて、面接に行きました。
初めての就職活動で、面接の仕方も知らない。緊張しっぱなしで、自分も何を言ったのかも分からない、そんな状態だったのですが、なんとそこに合格したのです。
他の友達は、なかなか就職できず苦戦していたのに、何のプログラムの勉強もしたことない私が、1発合格。とても恐ろしかったです。

しかし、受かったからといって安心ではありませんでした。 そう、私は専門学校に行っていないので、単位がない。卒業できる見込みは、はるか彼方でした。
気が遠くなるほどの単位数。あきらめが頭の中をよぎりまくって、親に勘当される覚悟を決めていました。
そんな時、スポーツジムのバイトを辞めなくてはならなくなり、また次のバイトをどうしようかと思っていた矢先、学校の先生から電話があり、大学生協のバイトをしてみないかと。
ここでは、ロゴマークを作る、ホームページのデザインを考える、バナーを作るといった仕事だったので、その作成したものを学校に提出すれば、単位をもらえるということもあり、しっかりバイトをして単位をとりました。
そして、無事卒業。無事入社。
福岡に会社があるのですが、新入社員は東京で3ヶ月の研修があり、そこからどこの支部に配属されるかわからないとのこと。
初めての一人暮らし。しかも東京。ワクワクしていた面もありますが、不安がいっぱいでした。ちょうどその頃よく連絡をとりあっていた親戚のお姉ちゃん夫婦が東京にいたので、何かあっても安心ということで上京させてくれました。
身体がボロボロ
入社して、4月6日(日)の感謝会があった2日後、8日に1回目の体調を崩しました。熱はないのですが、寒気、頭痛がひどく会社を早退。その日から私の体はどんどん悪い方向に進んでいきました。9日は下痢をし、一日寝込む状態。10日から胃がギリギリ。11日会社を休む。病院に行き、胃の痛みが和らぐ点滴をうってもらう。
5月の後半から体はボロボロ。6月は週に3~4日は必ず体調を崩し、休んでいました。そのうちに研修内容にもついていけず、会社に行きたくない毎日。それと同時にくる胃の痛み、体のだるさ。頭痛、吐き気。毎日アクエリアスだけを飲んで過ごしていました。
今思えばこの時は、感謝会しか行ってなく、行も何もしていない状態でした。そして、何もかも自分中心の考え。お金も自分だけの事にしか使わない。今思えば、体の調子も悪くなるし、悪いことばかり起こって当然でした。
6月23日、辞職。というより、クビです。休みすぎが原因です。 「その通り」と自分でも納得。仕事が自分に合わなかったのもあるのですが、「私が一番できていない。できないことでみんなに迷惑をかけている」と勝手にマイナスな事を考えすぎて、胃を痛め、体はボロボロ。会社の上司は「できないのは、平塚さんだけじゃないから。みんなできてないよ?そんなに考えこまなくても良い」とよく言ってくださっていました。
しかし、私は聞く耳もたず。「できない。できない。」
だからできない方向に行く。今の自分から見れば、甘えていたなとつくづく思います。
退職をしたので、実家に帰らなければいけない。引越の準備をし、何日間か親戚の家に泊めてもらい、福岡に帰ることにしました。
福岡に帰ったら、まず体を安静にして、胃の痛みが治ったら就職活動を始めようと、家に帰れるという安心感でいっぱいでした。
すると楠葉研究員から電話があり、「7月13日にエポックモア(副理事長である山内先生の会社)の年に一度の大きなイベントがあるから出席して、それからずっと広島にいなさい。実家に帰ると、親に甘えっぱなしになり、今を克服できなくなるから絶対帰ったらダメよ!」と言われました。自分の中では帰る気満々でしたので この話は驚きました。
(つづく)