[人間づくり]総合人間教育学の普及と援助

人間づくりコラム


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《『政(まつりごと)の心』を求めて》 第61回 ―「 日本政治の現状(23) 」―
野中広務氏との久しぶりの懇談

7月23日(金)、京都の清涼寺で故前尾繁三郎元衆院議長の30回忌に顔を出した。「政治家である前に人間であれ」と遺言した人物だ。戦後の政治家の中では4万冊の蔵書をもつ教養と見識の政治家であった。


4年間近く私は議長秘書として仕え、人生の師であった。清涼寺には、縁の深かった野中広務元衆院議員、荒牧元京都府知事、水谷佛教大学理事長、安藤前尾事務所秘書らが顔を見せた。久しぶりに野中さんと懇談できた。


野中さんと私とは不思議な関係である。前尾先生が昭和56年7月に急逝した後、後継の1人として京都2区から衆院議員に当選されたが、その時私は急逝される前尾先生の気持を聞かされていて、野中さんの立場を支持した。選挙では小沢一郎が本部長として活躍し、小沢―野中の関係は強い絆で結ばれていた。


平成4年7月の参院高知地方区に私が出馬することになったのは、主に野中さんの力で竹下元首相がバックアップしてくれていた。2人は私を国政に出すことで、経世会の勢力拡大に活用しようという狙いがあった。小沢さんの狙いは、竹下―野中の力で参院議員とし、自民党改革と国会改革を断行しようというスタンスに根本的違いがあった。


私は参院議員となって1年も経たないうちに、自民党を離れて「非自民細川連立内閣」 の樹立に全力を挙げる小沢一郎の側近となる。野中さんにとっては「不倶戴天のかたき」である。しかし、小沢さんへの厳しい批判はいまでも続けているが、私に対しては多分「アンビバレント」(愛と憎しみの同居)な気持だと思う。政界を引退しても、国政が動かなくなったとき、しばしば、電話と意見をいってくる関係である。


久しぶりの懇談で話題となったのは、「参議院選挙とこれからの政局」のことである。野中さんは会食の途中でいきなり「民主党への政権交代、その後の民主党政治のシナリオは、平野さんが関わっているんだ」と、ホメ殺しを始めた。私が「政権交代までは、アドバイスも協力もしたが、鳩山政権以後は一切関わっていない。政権から何の相談もない。小沢幹事長には時々進言した」というと。


野中さん「誰もそう思っていないよ」、と押してくるので、私が民主党政権に交代してからの総括を始めた。


「民主党の指導的立場の人々に、議会政治の本質を知っている人が少ない。統治能力が自己抑制力だということをほとんどわかっていない。困ったものだ」と。「パフォーマンスが政治だと思っている人物ばかりだ」と野中さんが乗ってくる。


「菅政権ができて、参院選挙前後の民主党政治をみて、私は、菅体制をつくった政治家どもは、120年続いた日本の議会政治を崩壊させたといえる。議会政治には“信頼”これがキーワードだ。菅首相は与党内、与野党内、そして国民との間の“信頼”を叩き壊したという認識を有識者も政治家もしていないことが、国家の悲劇ですよ」と、私が話を拡げると。野中さんは「君がそこまで深刻に考えているとは思わなかった」と、主張の幅が狭くなる。


「菅首相や枝野幹事長のテレビ討論を聞いていると、言語による意思の交流とはいえない。言葉を武器とする攻撃であり、相手の存在を否定することである。おそらく多くの日本人は、自分たちとは異質の政治を感じたのではないか。彼らには政治的に対立する相手の言論から学ぼうとしないどころか、単純な形式論理で相手を排除しようとするだけだ」と私は続けた。


じっと聞き入っていた野中さんは「どうすればよいのか」と問う。「民主党とか自民党という時代でなくなった。真の議会政治をつくり直す時になった」と答えると。「そこだ!!」と応じてくれた。野中さん83歳、私は75歳、残りの人生をこれに賭けることになろう。