《『政(まつりごと)の心』を求めて》 第1回 ―「母親の法事の話」―

3月から13回にわたった「政治講座」は、どうも理屈が多かったようだ。もう少し人間の暮らしの実際に即した話をしてみたい。まずは、自分が生きてきた70余年をふりかえり、思い出の中で「政の心」は何かを追っていきたい。
5月25日に母・雪江の23回忌をやることになり、久しぶりに兄弟・姉妹6人が、故里・土佐清水市三崎の実家に顔をそろえた。長男・清87歳(医師)、次男・秀郎86歳(医師)、三男・英宇78歳(歯科医師)、四男・貞夫73歳(元参院議員)、次女・由多加77歳(主婦)、三女・かよ子71歳(主婦)である。長女と四女は死亡。父・寛(医師)は40年前79歳で死亡していた。
6人の兄弟・姉妹が一同に揃うのは、これが最後ということで、私も日程を調整して帰省した。面白いもので昔話をするうちに、兄弟ながら初めて聞く話があって驚いた。まず四万十市で一泊して、兄弟一緒に足摺岬に向かう途中に、「八束」という地域がある。自動車でここを通過するとき、私が歯科医の英兄に「ここは安岡正篤先生が養子にきたところだ」と説明する。
すると兄は「昭和29年頃、東京の野口英世診療所で安岡先生の歯の治療をしたことがあるよ」と話し出した。私は昭和34年に、当時、吉田元首相の秘書役をやっていた同郷の依岡顕知氏に連れられて、安岡先生のお話を拝聴したことがあった。私は大きな影響を受けて、それまでの左翼学生運動をやめ衆院事務局に勤めることになった。私の人生を変えたともいえる。
魂はどこにあるのか

土佐清水市の実家では、開業医の父親を継いだ長兄の清が待っていた。ここでの話は、陸軍仕官学校時代の教官であった瀬島龍三氏のことであった。四国旅行の案内をした写真を見ながら、戦時中の話となった。
実は、私が参院議員となった後、ある会合で瀬島さんと会う機会があった。「初めまして」と名刺を出して挨拶をすると、「君のことはいろんな人から聞いている。兄さんは私の教え子だ」と機嫌が悪い。私は瀬島さんの生き方に疑問をもっていたので近づくのを避けていたが、人との関係は思わぬところで縁があるものだ。次兄秀郎の話は、戦国時代に遡った。
同郷に「泥谷」という古くから漢方医の名門があった。親族付合いをしていて、戦前に宿毛市で病院を経営していた。男の後継者がいなくて次兄が養子に行く話があったが、父親が養子にやることに腹が決まらず、泥谷家は医家としては断絶した。 この泥谷家はキリスト教を信仰していることでも知られている。それには歴史物語がある。
戦国時代、中村一条家に豊後の大友宗麟の娘が嫁いでいて、その付人として漢方医の泥谷氏が土佐にきたのが始まりとのこと。その後、主人の一条兼定が長曽我部に追われ、豊後の大友宗麟に庇護されることになる。そして兼定は宗麟より早く洗礼をうけ、クリスチャン大名として、先祖の眠る地土佐の幡多郡に「神の国」を建設しようと、豊後水道を十字架の旗をひらめかせ、宿毛湾に攻め入ったが、四万十川で敗れ一条軍は散りぢりとなり、足摺岬の山谷に隠れ住むことになる。土佐には戦国時代に、キリスト教による「神の国」の建設をしようという運動があったことに驚いたが、これも母親の法事がとりもつ話で、私たちは故郷という地理的場所だけではなく、人々が生きてきたという歴史を背負っていることを痛感した。
ところで、法事が終わった後、親族の1人が母・雪江が生前、もっとも困ったことの話を出した。それは「四男の貞夫が、小学校に入る前に“魂はどこにあるのか”と、しつこく聞き、返答できなかったことだ」とのこと。70年前のことが、少しずつ思い出してきた。 (つづく)