《前尾政治学》 第13回終講 ―「人間と政治」―

国づくり人づくり「政治講座」として、「前尾政治学」を約3ヶ月続けたが、一応今回で幕を閉じておきたい。前尾繁三郎が生涯にわたって取り組んできた政治のモチーフは、「人間とは何か」ということであった。前尾政治学の方法論は「人間の本質・特徴を探究し、それを理論化して、現実の政治や経済などのための活動に応用する」というものであった。
さらに「政治も経済も、すべて社会現象は人間が関わり、人間が行っているものだ。人間の本質を知れば、あらゆる問題は解明できるし、対処することもできる」というものであった。この「人間の本質を知る」ということはきわめて困難なことで、前尾繁三郎自身悩み続けた問題であった。
人間の本質
この「人間理解の難しさ」を究明するために、前尾繁三郎は「語源」と「十二支」の研究を通じて、「人間とは何か」を探求したのである。その歴史的遺産が「儒学」であるとし、わけても孔子の思想を中心に「論語」を人間の本質究明に活用したのである。儒学における「政治」の理念を、孔子の「仁」から始まり、孟子の「仁義」を経て、荀子の「礼儀」に変化していったと、前尾繁三郎は整理している。そして、孟子の「性善説」に対して、荀子の「性悪説」を対立関係として捉えるべきではないと論じている。
荀子が「性は悪、善なる者は偽」と主張したのは、「人間の持つ生得的意欲を悪なるものと否定してこそ、善なる意義活動が可能になる」と解釈した前尾繁三郎は、国家社会を改善していくために人間の善なる活動が必要であることによって、孟子と荀子の考え方は根底において共通するものがあると論じている。論意の差は、両者が生きた時代の違いであり、社会構造の変化によるものである。
政治家である前に人間であれ

前尾繁三郎は「人間とは何か」の追求を、儒学・論語などに求め「政治家である前に人間であれ」との名言を残している。そして人間が生物として発生して以来から、社会や国家を形成して「政治」を行うに至ったプロセスを理論化しようとしたのである。
それは、人間の特徴を統合して「文化的動物」と定義しており、その意味を「祖先が創ったものを踏襲して、さらにそれを改革する能力をもつこと」としている。この「文化的動物」を人間の進化のなかで特徴づけると、①工作的動物、②言語的動物、③教育的動物、④社会的動物となる。
これらの人間の特徴論から、前尾繁三郎は独自の「政治理論」を構築している。「政」の文字の語源を「正義」と「力」と分析したうえで、「力すなわち秩序のない政治は混乱あるのみ、正義のない政治はもはや政治とは言えない」と断じている。以上が『前尾政治学』の原点である。これは前尾学のごく一部であり、別の機会に前尾哲学を説明させていただく。
さて、民主党の代表選挙で鳩山由紀夫が選ばれ、就任の挨拶や記者会見で「政治は愛である」として『友愛』を理念とするとした。これに対して朝日新聞は「浮世離れ」と批判した。なんと不見識なことだ。『友愛』はエマソンの「人類愛」と、孟子の「惻隠の心」を統合したもので、健全な政治の目標である。マスコミが日本を亡国にしている好例だ。 (つづく)