斗の順道 通蒙憲法 第二条
詔を承りては必ず謹め。
君は之れ天に則り、臣は之れ地に則る。
天は覆い地は載せて、四時順り行き、萬氣、
通ずることを得せしむ、
地もし天を覆わんと欲む則は、壊れ致すのみ。
是を以って、君言ば 臣承り、
上行さば下これに效うは是れ天地の則なり。
故に詔を承りては必ず愼め、謹まざれば自ら敗ばん。
みことのりをうけたまわりては かならずつつしめ。
みかどはこれてんにとっとり、つかさたちは これちにのっとる。
てんはおおい ちはのせて、よっときめぐりゆき、よろずのき、
つうずることをえせしむ、
ちもしてんを おおわんとのぞむときは、なぶれなすのみ。
これをもって、みかごみことのれば おみうけたまわり、
つかさたちしめば おおみたからに ならうならば これてんちのさだめなり。
ゆえにみことのりをうけたまわりては かならずつつしめ、つつしまざればみずから ほろばん。
第二条
天子のみことのりを受ければ、必ず謹んでこれを奉ずるがよい。君は天、臣は地である。天は上にあり、地は下にあって、春夏秋冬に順行して、ここに初めて万気が通ずるのである。もしも地が上に行って天に代わろうとすれば、破壊があるばかりだ。従って君の命令があれば、臣はこれを承り、上の行うところは下これに倣って、みことのりは謹んでこれを奉ずるがよい。奉じなければ、自ら敗れる。

第二条の条文について、「あれ? 自分が読んだものと違う」と仰有るお方が多いと思います。「篤く三宝を敬え」という条文がよく知られていますが、実はこれが正しいのです。皇太子が編纂を命じられた「先代旧事本紀大成経」の中にはこの文言があります。
一般的に伝えられている太子憲法の第二条は、明らかに仏教者が時の勢いに乗じて改竄したものと考えられます。
なぜなら「篤く三宝を敬え。三宝とは仏法僧なり」としてあるからです。国家公務員に対しての基本法である「通蒙憲法」の二条目に天皇がこんなことを言われると思いますか?
まず第一に「三宝」ではなく「三法」なのです。「三法」の意味については後述する第十七条に述べられており、神と仏と儒の三つを指しています。そして、太子は、「三法とは万国の太宗である。神は日本の神道。仏はインド(天竺)の神道。儒はもろこしの神道。必ずこれを勉強し、人間修行を怠ってはいけない」と訓えておられます。
漢の国士の布袋和尚、中国道教の福禄寿に寿老人、日本の恵比寿様。
これはという神々を七という数にまとめて「七福神」とした構図は、日本独特のもので、太子の示す三法の大衆的表現であったと思います。
そして更に、宗旨にこだわらずに生きるためのバランスを教えたのかもしれませんね。
では、太子憲法の改竄はいつごろされたかと考えますと、仏教者、僧侶に真に勢いがついた、これより約120年後の第45代・聖武天皇の奈良大仏建立の頃……。このあたりではないかと思われます。
渡部昇一氏は、その当時の大仏殿建立は、木造建築としてその壮大さにおいて世界一であったと言っておられますが、落慶式典にはわざわざインドの名僧(菩提仙那)を呼んで導師とし、音楽家たちも外国の著名な人々を招いたとも伝えられております。まさしく、空前の大典だったようです。
幾千人の僧侶の大声明の中、大仏開眼のために導師が持つ筆に色美しい紐をつけて大勢が持ち、仏の慈悲にすがろうとしたわけです。 かくて聖武天皇は式典のあまりの豪華さに酔われたのか、次の有名な言葉を勅語されたと伝わります。
「われ三宝の奴とならむ」この勅語を聞いて、当時の仏僧(釈氏)たちの喜びは、天にも昇るものだったでしょう。まさに「我々は天下の権力を持ったぞ」、と。
そして、その機に乗じて遂に改竄の行動を起こしたのではないでしょうか。その上、太子が法華経を最初に日本に広めたお方であることから、「太子は仏教徒である」と一方的に決めつけてしまいました。しかし、太子は仏教を宗教ではなくインドの釈迦の〝学問〟として考えておられたのですから、まるで観点が違います。
世界の国々に今なお、宗教戦争はありますが、悲しいことですね。宗教者たちも我田引水の気持ちを反省する必要があるのではないでしょうか。
ともあれ、本当の第二条はここに記した通りで「国家公務員(公僕)は天子の命令を守り各々職分に応じて行政サービスをしっかりとやってくれ。もし仕事に対してひたむきな心を捨てたときは、その人自身の破滅だというものです。
太子は日本の官僚国家体制を造ったと指弾する人がいますが、一国を運営するにはまず「中央集権」が立派にできていなければなりません。要は人々の職務に対する心……。
太子は憲法という名において、国家経営の理想を掲げられたのです。
【聖武天皇】
仏教への帰依が厚く、東大寺の大仏建立という大事業を推進し、天皇として初めて出家。半面、政治的には藤原氏の台頭を招いた。701~756年(在位724~749年)。
【奈良大仏建立】
743年に紫香楽宮(しがらきのみや)で始められ、奈良の東大寺に移された後、752年に開眼供養が行われた。