籠の品道 政家憲法 第十六条
兆民は政を畏み、誠を止として欺くこと無きなり。
農者 は、耕し培いやしなって稼ぎ休を知らず。
工者 は、法に存め美ものを作り厭を知らず。
商者 は、駄に荷をのせて渡り歩き倦を知らず。
藝者 は、問い習えし練り案えて投を知らず。
於て愼みて御令に盡くし、
命用に於て勤め盡くさせるべし。
おおみたからはまつりごとをかしこみ、まことをむねとしてあざむくことなきなり。
たべものをつくるものは、たがやしつちかいやしなってかせぎやすむことしらず。
きぐをつくりだすものは、のりのままにとどめよきものをつくりあくことをしらず。
あきないをいとなむものは、うまににをのせてわたりあるきうむことをしらず。
わざをきそいみせるものは、といならいくりかえしねりかんがえてなげだすことをしらず。
これによってつつしみてもことのりにつくし、
おおせのままにおいてつとめつくさせるべし。
第十六条
人民はまつりごとに心服し、誠を尽くして欺いてはならない。農業者は耕し培って、休むことなく、工業者は法のままにつくり、美しくしてあくことなく、商業者は荷駄(うまお)い、舟で私また歩み倦むことなく、伎芸者は問い習い、案じ練って投げ出すことなく、謹んでおおせに従い、命ぜられた用務に勤め尽くすべきである。

なんという細やかな御指示でしょうか。
技芸者は、〝芸の道に謙虚な心で臨み、素直に先輩に習い、わが芸を完成させなければいけない〟。
太子は、歌舞音曲は人間社会に絶対に必要なものであると考え、奈良県三輪桜井に「土舞台」という名の屋外劇場を作り、上演のための大道具・小道具の工房も設けました。そして、百済の帰化人で大名人と称された、味摩之・己中芳・加多意を教師にすえて、全国から美男子を集め、歌や踊り、芝居、音楽を習わせたのです。
いわば日本での歌謡ショーやミュージカルの元祖ですね。全国各地からどんな美男子が集まったのでしょうか。客席もさぞ盛況だったことでしょう。
この後、一六〇三年頃の京都における出雲の阿国の歌舞伎踊りを経て「野郎歌舞伎」と称された演劇の集団ができ上がり、現在まで続いているわけですが、まさに聖徳太子は勧進元の一番手だったのです。
歌手としてこの教えを読むとき、『よく習い』という条文は、歌と音楽と演劇の基本を正確に習得しなければ新しい自己の芸は創れない、と言われたものと信じます。