車の司道 政家憲法 第十二条
主上政を為すは、仁に止めて我れを無となせ。
學ぶに、天の度、地の行、人の法を以てし
之に理て、吾が先皇の蹟を践み、
臣を先賢の蹟に導き、
天の天下を安んじ、
天の兆民を樂しくす。
天は自ら御し無為に歸らん。
かく虚莫を御すれば王道隆えん。
みかどまつりごとをなすは、こころをおもいやりにとどめておのれをむとなせ。
まなぶに、てんのり、ちのり、ひとのりをもってし
これにのっとりて、わがさきつみかどのあとをふみ、
つかさたちをさきひじりのあとにみちびき、
あまつみおやよりたまわりたるのおおやしまぐにをやすんじ、
あまつみおやよりあずかりたるのおおみたからをこころやすくす。
てんはみずからぎょしむいにもどらん。
かくあまつみそらをぎょすればすめらぎのみちとわにさかえん。
第十二条
主上が政治を執られるには、仁に注意されて、私心をなくさねばならない。学ぶところは、天度、地行、人法の理をもってし、先皇の事跡を踏襲し、臣下を先賢の事跡に導き、天下を安泰にして人民を楽しましめ、天自らを御(使う、統べ治める)して無為に帰せしめ、虚莫を御して王道を隆んにすべきである。
私は憲法の中でここが一番好きです。天皇その人について書きながら、すべての人に当てはまるものだと思えるのです。国の元首の心構えを憲法で厳然と規定したものは、世界のどこを探しても無いでしょう。太子は、この条文を盛り込むことで、日本を上下の差無く、万民が共に栄える理想的な国にしようと考えられていたのではないでしょうか。国家体制の表徴である憲法を改悪しても、大統領の再選を強行するという例が外国にはありますが、それは自ら国を馬鹿にしているとしか思われません。

この条文を定めた太子の覚悟、これは凄い迫力です。もっとも、帝が叔母君にあたるお方であったから書けたという点もありましょうが、人間は皆、同じものですと言われているように感じます。
「主上は、仁慈の御心を常に忘れずに、人民の倖せが天皇の幸福と思って戴きたい。国を治め国を守る元首の務めであります」
と、推古女帝にこの条文をお見せしたときの太子のお顔の表情は、どんなだったでしょうか。
女帝は二度、三度とお読みになって、やがて太子に、
「上宮皇太子よ、よくぞここまで書いてくだされた。日本国の天皇は仁の心を持ちつづけなければなりませぬ。国民の幸福こそ朕の幸福ですね」
と、このようなお話があったのではないかと夢が広がります。これが政家憲法の中にあることを、今一度考えてみましょう。
天皇陛下に関して、ここでエピソードを少々……。
私の友人である永六輔さんは、車に乗らず、とにかく歩き、取材をする。人に逢う、語り合う。考えると健康にもいい。放送人として、実社会を常に知るためにもいいこと全部を実行している人ですが、
平成九年七月半ばのこと、永さんが上野の不忍池の近くの交差点を渡ろうとしていた。すると、お巡りさんが、
「一寸待ってください、渡らないでください!」
「えっ、どうして?信号は青でしょう」
という永さんの前にまず白バイが二台。続いて黒塗りの大きな車が……、なぜか止まった。
窓がツーと開いて、なんとそこには今上陛下のお顔。あっ、と思う永さんに陛下がお手を振ってほほえまれた。
「咄嗟にどうしたらいいのか分からなくなって、頭を下げることも手を動かすこともできなかったんですよ」
と、その出来事を語る永さん。
「あまりに突然のことでしたからねえ、三波さん」
「私がこんなことを申し上げると変ですけど、永さんの前でお車が止まったのは、
『おや、あそこに立っているのは永六輔君だ。今日も取材で街を歩いているのだね。努力の人だ』
と思われて、車を止めなさい、とおっしゃったんじゃないですか」
「三波さん、そんなにドラマを作ってはいけませんよ。でもね、ああ、挨拶しそびれたーと、昨日からずっと気にかかっちゃってるんですよ」 というわけです。

この後、永さんとの会話は昭和天皇のお話に発展。
「これは聞いた話ですけど、昭和天皇が、敗戦後の復興の国民激励のために各地を巡幸されたときのことです。ある町を左翼の闘士二人が激論を闘わせながら歩いていたそうです。そのとき、道を曲がられたお車が目の前に来た。
彼らが『お!』と思った瞬間、昭和天皇が車中から彼らに対して会釈をされた。二人はびっくりして棒を呑んだように躰が固まってしまって頭の中は真っ白……。
我に返ってお車を見送りつつ、
『おいおい……天皇が俺たち二人だけに挨拶をするとはどういうことだろう。天皇は国の復興にあんなに真剣に取り組んでるということか』
『天皇制打倒なんて俺たちはアジっているけど、こりゃ考えもんだね』と語り合ったそうですよ」
「そうですか。そういえば、三波さんは紫綬褒章を受けて、赤坂の園遊会に招待されてましたね」
「はい、昭和天皇が最後のお元気な姿をみんなにお見せになられた昭和六十二年五月二十日でした。あのとき、私ども夫婦に御下問を戴きましたが、一生忘れませんね。遠くから大勢の人々に
『あっそう。あっそう』
と、明るいお声が段々近づいてきて、私どもの前にお立ちになられた。陛下がニコニコと
『今まで随分、歌手として国民のためにいろいろやってくれましたね』
とおっしゃったときのお言葉の涼やかさ。しかも凛として、五体に響くような力強さ、そして大きな温かさに、私は背筋が震えました」
「うむ、なるほど……。」
この園遊会は、私ども夫婦にとって、大きな思い出です。