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おわりに

お読み頂いて、いかがでしたでしょうか。納得できる、できないところ、賛成できる、できないところ、もっと深く知りたいところ、いろいろご意見がおありだと思います。

終戦の年、昭和20年(1945)に生まれ、幼少時より家庭が複雑で、父と兄が包丁を持って喧嘩、兄を陰で守っていた母に、父が暴力を振るうといったことが三日に一度というような毎日でした。兄は父に勘当され行方不明、消息がわかった時は、死亡通知が届いた時で40才の若さでした。

学生時代も、子供ながら悩み苦しみ、生長の家や末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)と宗教にふれたり、学校の近くの禅寺に出かけたり、兄の友達の影響で歌を憶え、歌で淋しさを埋めていました。

しかしながら、人生の試練は続き、高校三年の夏に家業は倒産。大学受験には合格したものの、入学を諦めざるを得ませんでした。それでも両親は、何とか私を大学に入学させたいということで、1年間の浪人生活をさせてくれましたが、やはり金銭的な目処が立たず、進学をあきらめました。その後、両親は離婚。

社会に出て必死に働き、結婚式も自分で一斉し、28才で家も建て、初代労働組合長にも推薦され、組合で生産性向上運動をして実績を挙げ、会社規模別では日本一の賃上げを勝ち取ったこともありました。10年勤めて独立。

その後、教育産業に身を投じながら、当時21世紀の流通産業の主流になるかもしれないと、10年程研究をしていたMLM(マルチレベル商法)が、社会的問題を起こしており、何とか正しく成長して欲しいと思っていました。 折しも昭和58年(1983)春、大企業の元副社長が経営していたMLM会社から、コンサルタントを請われました。

業績を上昇させた半年後、社内の事情から名目だけの社長就任を要請され、引き受けたものの365日休みなしの毎日で、一年ほど死力を尽くしましたが、時すでに遅しで、昭和60年(1985)11月20日、会社は倒産。

どん底のその夜、多分常人には信じられないと思いますが、弘法大師空海さまとの2度目の不思議な霊的結縁により霊能力を授かり、「今日から世のため人のために生きなさい」とのご霊言をいただきました。

しかし、現実は無一文になり、会社整理で修羅場を経験、家庭も離婚。妻にも子供達にも、筆舌尽くしがたい迷惑と苦労をかけました。不幸は重なるもので、父親が亡くなり、葬式代どころか帰る旅費すらなく、これほど無念を感じたことはありませんでした。
自転車で言うならこぎ続けの連続で、止めたら倒れる波乱万丈の40年。私はこの時一度死にました。

それから新たな世のため人のための人生が始まりました。修行・勉強・人助け・修行・勉強・人助けの繰り返しの中、真剣に立ち向かっているうちに、いつしかこの国も人も駄目になると思い始めました。

日本は戦後、すばらしい復活を遂げましたが、その反面でさまざまな問題が生じてきました。松下幸之助さんが、「21世紀の日本」の中で次のように書かれていました。

  一、国民所得も世界トップクラス
  一、富の公平な分配
  一、物価の安定 
  一、モラルやマナーの良さ
  一、教育レベルの高さ
  一、美しい自然
  一、自由と秩序がある
  一、青年が希望を持って生きている
  一、老人を大切にしている
  一、日本の歴史、伝統が生きている
  一、日本の皇室の存在
  一、政治の安定
  一、世界への貢献
  一、平和的・自衛と安全

このような日本は、今消え去ろうとしています。

諸神仏に導かれる中から、自分の波瀾万丈の運命の山河の中から、人助けをさせていただいた中から、多くの諸先生とお会いさせていただいた中から、さまざまな書物の中から、社会の変化の中から、自然と自分が立ち上がらなければと運命的なものを感じ、『誇れる国づくり・魅力ある人づくり』を決起しました。

内容的には、決して実現不可能な空理、空論ではありません。
具体的には、更なる詳細なアクションプランが必要でありますが、同じ志ある八百万神(人)々の叡知が結集し、修正を加え推進していくならば、時間がかかっても必ず、『誇れる国づくり・魅力ある人づくり』が実現すると確信しています。

この本の出版にあたり、心温まる経済的援助をしてくださったCMF国際財団創運会の皆様をはじめ、アドバイスをいただいた諸先生方、山内紀枝教授、教学部の楠葉正子さん。連日連夜の編集作業で原稿をまとめてくださったオフィスαの河本陽子さん、表紙デザインや色彩編集を担当してくださった潟Eインドーズ21の中村充社長、作業に携わってくださった職員や他スタッフの皆さん。そして、孝志、信一、圭三の息子三兄弟。
最後に諸神仏をはじめ、宇宙天地一切のご守護に感謝させていただきます。

ありがとうございます。

平成十九年三月二十一日