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第10章 CMFの真理
 

真理の条件

人類に一貫した『普遍の真理』とは何でしょうか。破滅か継承(創造)かの選択を迫られている現代、人類はどこを目指して進むべきなのでしょうか。
また、人類には目指すところがあるのかないのか? 
一人よがりではなく、お国よがりでもなく、観念の遊びでもなく、この世界の厳然たる事実から、あるいは現象世界に現われている事実の中から、普遍の真理を見い出してみたいと思います。

真理とは、宇宙根本の大真理を言うのです。では、真理の条件とはどのようなものでしょうか。
私は仕事柄、仏典・聖書・宗教書を始め、倫理・道徳などを通じて真理を探究し続けてきましたが、あまりにも深遠なるが故に、哲学的だったり、抽象的・預言的・宗教的・啓示的だったりといろいろで、なかなか万人に理解していただける普遍の真理を見い出せないでいました。
ある日、ふっと立ち寄った古本屋で偶然手にした本の内容に、目から鱗が落ちる思いがしました。真理とは、

1)平凡なもの
2)本能的である
3)変化しないこと
4)現象世界に見い出せること


以上、4つの条件が満たされたものでなければならないと説かれていたのです。
 

普遍の真理は家族

では、この4つの条件を満たすものは何かと考えますと

家族つまり
親子・兄弟姉妹の関係

であります。
親子・兄弟姉妹ほど『平凡』なものはなく、生まれながらにして
親子の関係は切っても切れない『本能的なもの』であります。
また、『変化しないこと』にしてもまさにその通りで、ある日突然親子の関係が入れ替わるものではありません。何がどうあれ、親は親、子は子であります。
そして、親子・兄弟姉妹関係というものは、私たちが日頃目で見、耳で聞き、住んでいる世界であって『現象世界に見い出せるもの』です。

 

家族の本質とは

そこで、真理の深い意味を知るためには、家族の持っている本質を知る必要があります。一家の中心になるものは親であります。親には親心があります。親心によって子供は育まれていくのです。親は夫婦より成り立っております。
陰陽なる夫婦の大和合によって子供は生まれます。生まれた子供は、親心によって育まれます。無限の愛情たる親心は、自然に備わっているもので、人の努力や理屈によってつくられたものではありません。

○親心は利己心より発したものではありません
○家族のためを考えての親心でもありません
○せねばならぬと考えたから親心が起こったのでもありません
○責任を考えたから起こった親心でもありません

何ら特別な親の欲心から子供を育てるという理由はないのです。
そうしたいからするのです。ただ、そうしたいからするだけのことです。親はつまらない子にしようとは考えておりません。自分より幸せにと祈る心が親心です。
親は子より孫がかわいいと申しますが、下にいくほどかわいいのです。
その親心は無限で、生まれてくる子供に対して愛情を注ぐのです。

そうしてみると私たちの身体の中には、先祖の一人ひとりの愛情が残らず注がれているのです。
子心にしましても親心と同じで、利害損得抜き、理屈抜きにして親心に帰一しているのです。
兄弟姉妹心も同じです。親になれば親心になり、子となれば子心になり、兄弟姉妹となれば兄弟姉妹心となるのです。
聖人が、愛・誠・仁・慈悲とか説いておられますが、いずれも抽象的で、その内容は受け取る人によって異なります。
しかし、親心だけは、各自が一様に持っているもので、何ら変わりません。どんな極悪人でも親心は同じなのです。その親心こそ、愛であり誠であり仁であり慈悲であり、すべてです。

また、親心は、正善でもなく邪悪でもない、正善をおし進めても親心とはなりません。正善は邪悪との対立観念です。
親心には対立というものがありません。すべてを抱擁しています。子を叩くこともあれば撫でることもあります。しかし、それはすべ て子のためを考えてのことです。

方法手段はどうであれ、すべては親心の発露なのです。

 

普遍の真理『CMF』

以上のことから、『家族の姿』こそ『宇宙の真理』であり、『宇宙の真理は、家族すなわち親子兄弟姉妹の中にある』と言えます。
この普遍の真理と一体になるとき、すべてが融和し破滅の危機を回避でき、この地球上に真の平和と幸福が誕生するのです。
私はそれを名付けて『CMFの真理』としました。

そして、それは『広い意味でのCMF』と『狭い意味でのCMF』で成り立っています。

 

広い意味の『CMF』

私たち人間は、大宇宙の生命(大霊)より、両親を仮腹にして生まれたのであり、私たちの身体は大宇宙の生命より生み出されたものを食べてできています。つまり大宇宙(親心)と人間は一体であるということですし、大宇宙の家族の一員でもあると言えます。
つまり、宇宙〈C〉と人類・万類〈M〉は連衝〈F〉で、融和しており、大宇宙の一員であると言えるのです。

私たちの生命は、大宇宙の生命の一部であると同時に大宇宙の生命に陰に陽に生かされて繋がっているのです。
私たちが、ほんとうの幸福を手に入れるためには、まず私たち自身が大宇宙の家族の一員であり、生命そのものは大宇宙の生命(ムスヒ親)によって生み出され、天地一切のものを食することにより、生かされているという事実を知らねばなりません。


私たちの生命は、野菜・果物・牛・豚・鳥・貝類等々の有形のものと、空気・花の色や香り・自然の美しさ・季節の移り変わりを味わう心等々の無形のものを食することによって肉体的・精神的に生かされているのです。
ですから、私たちの身体は私たち自身のものであると思うのは間違いで、すべて大宇宙の生命の化身である野菜や果物、牛・豚・鳥・貝類をはじめ、花の色や香り、自然の美しさ等の生命の融和体なのであり、決して自分が独自に作り出した生命ではないのです。
この点において人間は、大宇宙の家族の一員であると同時に、人間自身も大宇宙を縮小した小宇宙ということが言えるのです。つまり、人間自身も大宇宙のもろもろのものが集まってできている小宇宙家族なのです。

このように宇宙そのものが家族、すなわち親子・兄弟姉妹の関係にあると言えます。
もしこの地上に、野菜や果物、牛・豚・空気・水・花・自然の緑等々がなければ生きていくことはできません。人間は何一つ自分で作り出せるものはないのです。
田植えをして米を実らせ収穫することはできても、地球上に現れた最初の一粒を作り出すことはできないのです。他のものもすべてそうです。
ですから、私たちは大宇宙の生命(ムスヒ親)を大切にしなければならないのです。
また、同時に人間界においても、ひとりで生きていくことはできません。たくさんの人・物によって生かされているのです
 

狭い意味の『CMF』

チャイルド(子供)〈C〉とマザー(母親)〈M〉、ファーザー(父親)〈F〉です。
私たちは両親に生命をいただいて生まれてきたのです。それはまた、大宇宙生命(ムスヒ親)の分霊(わけみたま)としての親子関係の連続で先祖代々より受け継がれた生命体でもあるのです。
家族は犠牲たらんとすることもなく、犠牲を実行する団体で、何らの我欲もなく、ただ自然のままに組織されているのです。

物質的な融合体でなく生命体です。あたかも、人間の身体が手や足、顔、胸、腰、それぞれが生かし合ってできているように融和せる団体です。
家族はそれぞれの立場において平等で、夫唱婦随です。
父母・子供・兄弟と年令に差があり、その位置するところは違いますが、必要に応じて働き、協力し合い、果実を必要に応じて分け与えるという点では、他に類を見ないほど平等です。

お互いが、無償の愛、奉仕の心を持って生かし合っているのです。そして、自分よがりなよこしまな心を持っておりません。
子は鎹と言われ、家族の中心であります。つまり子供は相対する陽なる男性と陰なる女性が融和した結晶ですから、仏様と言われる由縁です。
子供の喜びは親の喜びになり、兄弟の悲しみは自分の悲しみになり、親の成功は子の喜びとなっているのです。幸せも不幸も共に分かち合っているのです。
そして家族がいかにしたら幸せになるか、共に考え努力しているのです。このことは自然であり理屈ではありません。
家族はその姿を変えることはできません。親は親であり、子は子であり、たとえ親らしくない親、子らしくない子がいても、「親、親たらずとも、子は子たらん」「子、子たらずとも、親は親たらん」とするものです。ですから、やがて親は親たり子は子たりに落ち着くのです。

しかし、親心・子心といえばむしろ自分の家族という意味でもありますが、広い意味での『CMF』で述べているように、宇宙の真理は家族すなわち親子(CMF)・兄弟姉妹(B&S)の中にあります。 
それならば、人間世界の親子・兄弟姉妹の関係だけを指しているのではなく、動物・植物はおろか宇宙をも包含してしまう親子・兄弟姉妹の関係というスケールの大きな世界こそ『普遍の真理』と言えます。

動物・植物・人間、それぞれ親子・兄弟姉妹、親子・兄弟姉妹と続いていきます。動物・植物・人間・天体さえも生みの親があるのです。
そんなことはないと反論されるかもしれませんが、人間を例にとっても、男の子を生みたいと思っても女の子が生まれたり、女の子を生みたいと思っても男の子が生まれてしまう。このように人間の意志ではどうにもならないのです。
すべてを生みだす親がいるのです。遡ればその親(ムスヒ親)に帰一します。すべての生命は、大宇宙の生命(ムスヒ)→先祖→本人→子孫へと結ばれてつながって生き通し(息通し)ているのです。

また、人間・動物・植物それぞれに家族があり、これらが集まってまた家族をなしています。そして、いずれの親にも親心があり、愛情をもって子を育てています。それぞれの親心には浅い深いの差はありますが、種族を残していくに充分な親心を持っています。
 

文明的な『CMF』

 

平和建設の条件

どんな集団であろうと家族の精神、報われることを期待しない自然に発露する親心があれば、争いは起きず平和になります。また、地上の人類すべてが一家のようになれば、最終的には人類は平和になるのです。
一家は善良なる人の集まりであるがゆえに平和になるのではありません。
悪人と言われるような人でも子供に対する愛情は変わらないのです。悪人の子供もまた、親に対しては普通の家族と変わらない態度で接するのです。

実に不思議ではありませんか。つまり、善良な人のみが集まらなくとも、平和は建設できるのです。真理とは善悪・損得を超えたところにあるのです。

そこで重要な問題が生まれてきます。平和を建設するには、

一、善良な人をつくるが先か
一、親子・兄弟姉妹なることを知らせるが先か


いずれが平和に到達する道かということです。

私は、人類に親子・兄弟姉妹なることを知らせることが先だと思います。そして、善良な人とは、親子・兄弟姉妹の態度を取りうる人をいうと考えます。これ以外に善良など考える余地はなく、いくら正義とか博愛とか主張しても駄目なのです。
何が正義、何が博愛かをつきつめてみましたら、結局、親心・子心・兄弟姉妹心で判断せねばならないことになります。

前にも述べましたが、私たちがほんとうの幸福を手に入れるためには、まず、私たち自身が大宇宙の家族の一員であり、生命そのものは、大宇宙の生命の化身である天地一切のものを食することにより、生かされているという事実を知らなければなりません。
 

相対の世界から融和の世界へ

すべては親子の関係にあります。人間だけでなく、世の中に存在す
るすべてのものはこの『CMF』すべては親子の関係にあります。人間だけでなく、世の中に存在するすべてのものはこの『CMF』の関係で成り立っているのです。また、同時にこの関係は普遍です。そして、この親子の関係の中にすべてがあります。
しかし、真理というのは普遍であり、円球のような状態といえるのですが、現象界に現れる時には、相対(本質は相補)の姿・形になります。

  陽と陰
  表と裏
  赤と黒(白)
  前と後
  味方と敵‥‥

このようにこの世に現れているすべてのものは相対なのです。政治・経済・社会・家庭・県・国‥‥も同じように相対の世界です。
これは、宇宙の真理でもあり、相対であることによって、お互いが学びあうことができますが、相対のままでは決して平和は訪れないのです。なぜなら対立したままだからです。
この相対の世界が普遍の世界に融和(ムスヒ)した時、すべては調和円満し平和が訪れるのです。
 

普遍の世界へ

その普遍の世界は『CMFの真理』の中にあるのです。
子供という永遠を生み出すために、相対である夫婦は立場の違いはあるものの、共に親心を持って育てるのです。
この親心になった時に、相対から融和への循環が始まるのです。
そこに流れているものは、思いやりであり、無償の愛であり、お互いの行為に反応し合うことから生じる感謝の心であり、自分を犠牲にできる奉仕の心であり、親子が共に生かし合い次世代につなごうとする聖なる心です。
親子の姿こそ、相対するものが共に生かし合い普遍の世界へ融和し、人類(万類)の成功と幸福への 道であり、共尊共生への道なのです。

この世で起こっているすべての現象は、一見相異性に見えますが相似性なのであり、何ら矛盾はないのです。なぜなら、それで全体だからなのです。
つまり、部分は集まって全体になり、全体は部分の融和体だからです。 
表をかえせば裏になり、裏をかえせば表になるように、実際は相対ではなく相補であり、生かし合っているのです。
人と人、人と物、人と動植物、人と空気など、すべてがつながった関係にあり、お互いが生かし合っている大きな家族なのです。
それこそがムスヒ(神・仏)であり、宇宙森羅万象(宇宙本位=コスミカリズム)であり、宇宙誕生より続いている普遍の世界なのであります。


環境問題・公害・戦争など、まさに人類・万類の危機的状態から抜け出し、夢と希望の持てる未来を創造するためには、大は国家間、小は地方単位まで、お互いの利害を超えて親子・兄弟姉妹の心になって、生かし合い支え合わなければならないのです。
 

小さなCMFから大きなCMFへ

そのためには、まず小さな幸せ、平和を家族から創らねばならないと思います。
平和な地球家族になるためには、まず自分たちの家族が平和でなければなりません。
家族が親心子心を大切にして共に生かし合い、助け合い、感謝し合うことが大切であります。

最近の世の中は、物質的な豊かさに目を奪われて、心の大切さを見失いつつあります。家庭の暖かさとか、やすらぎとかをあまりにも粗末にしているのではないでしょうか。
大きな幸せでなくてもよい、家族が健康で毎朝笑顔で挨拶し合える。また、夕方には同じ食卓で楽しく食事ができ、その日のできごとを話し合う。
お年寄りを大切にし敬う心、朝夕仏壇に手を合わせ御先祖に感謝する心、このようなことこそ、お金や物にかえられない豊かさではないでしょうか。
一つ一つの家族が幸せになってこそ、地球家族が幸せになるのです。そこに人類の明るい未来が展望できるのです。

世紀末的な予言がはびこって人心を不安にさせていますが、人間は決して無能ではないと思います。すべての人間の心の中に親心子心は必ずあるのです。なぜならそれは本能的に有しているからです。
人類はそれぞれ主義主張こそ違っても平和を求め続けたのですが、あまりにも犠牲を払いすぎ、破滅か継承(創造)かの危機的状況にある今こそ、早く『宇宙の親心』に気がつかなければなりません。
『惣(すべて)』という字は、物と心が一体になった状態なのです。
日本民族は、すべてのものを融和して日本的に作り変えてしまう 素晴らしい柔軟さを持っています。 それこそが古神道であり、仏教ででいうところの空観に近いものであります。
常に『空』の状態にして、相対するものをムスヒ(融和)して共に生かし合った新しいものを生み出してきたのです。

また、日本の国は間性型社会であり、欧米は父親型社会、東洋は母親型社会です。(90頁参照)
欧米の親子関係は父親中心です。父親と子供のつながりのことを書いた本はたくさんあります。東洋ではどちらかと言うと、子供は母親と密接です。何かあると子供は母親に相談します。日本は日ごろは母親と密接ですが、大切なところは父親がしめるという間性で成り立っています。

親心にも男性型と女性型と間性型があるのです。男性は論理的で、ものごとを白黒はっきりさせるため、落ちこぼれが出ます。その意味においては、闘争的です。
女性は情愛的で、どんなに悪い子供でもやさしく包み込み、落ちこぼれを出そうとしません。その意味において調和的です。
また、間性型は必要に応じて、男性的にも女性的にもなり、融和的です。 

日本社会は普遍的なものを中心とした間性型親心が中心ですから融和的です。
どちらを座標軸にした方が、永い目でみた場合、優れているかは歴然としています。

日本の社会はこのように、間性的融和的な思想が縄文時代からの永い歴史の中に脈々と息づいているのです。それこそが日本文明・文化なのです。
 

宇宙本位文明社会をめざして

今、世界はムスヒ(融和)思想が中心でなければどうにもならなくなっているのです。
前述したように、すべてを空的なものとしてとらえ、間性型親心を中心として築き上げてきた日本文明・文化こそ、必死になって世界中の国々が求めているものなのです。

家庭に、村に、町に、会社に、工場に、国に、地上に幸せや平和をもたらすのは、常に親心、子心、兄弟姉妹心を持って宇宙家族、そして地上家族の一員であるということを自覚することこそ平和を建設できる唯一の道なのです。
縄文の太古の時代から、自然・農業・漁業・林業・・・これら生命あるものと共生し一体の世界をつくっていたのですが、産業革命によって、生命なきものを中心にしてしまった欧米型唯物論が、人類を破滅の危機に落としいれてしまっているのです。
21世紀は、間性的親心に目覚める世紀なのです。

また親心は何世代にも渡って引き継がれてきており、人間が本能的に有している魂の引き継ぎ(生き通し)ということでもあり、家族の復活であると同時に親心の復活でもあり、魂の存在に目覚めた霊的世界の始まりでもあるのです。

この地球上に『CMFの真理』が鼓動する時、人類(万類)が今まで経験したことのなかった、共尊共生の高度な『宇宙本位文明社会』になるのです。
 
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