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第7章 宇宙的地球時代
 

大転換の時である

今、地球上のあらゆる生命が破滅か継承(創造)かの選択を迫られようとしています。
有史以来、人類は平和を望み、幸福を願いつつ、歴史を積み重ねてきたにもかかわらず、『国家』はその呪縛によって逆に紛争を生み、『宗教』は現実逃避の平和論を繰り返し、『科学』は目に見える世界に偏重して、目に見えない世界の存在を否定したため、多くの矛盾を露呈しています。
又、宇宙の真理とかけ離れた『知性・理性』は、相対的論理を生み出し、それによって人類共通の深層意識にある『邪性』を覚醒させ、倫理・道徳を無視した『経済学』は、貧富の二極化を生み出しています。


結局は、すべての面において、『人間の観測知・経験知』という枠組みの中で作り出され偏重した真理であったところに、その根源的な原因があるのです。
近代社会を作り上げてきた欧米型唯物史観に基づいた哲学・科学は、まさにそれそのものです。
今こそ、地球・人類のパラダイム(基本的枠組み)を大転換せねばならない時なのです。
 

宇宙・地球の仕組み

この地球上に存在する万類(人類)は、宇宙の大いなる霊的なエネルギーを内包し、あらゆるものと相補の関係で調和し循環しながら、生滅流転しているのです。
人間・動物・植物を表面に表れた形で見れば、全く別々の存在のようにありますが、そうではないのです。生命の進化の過程では、バクテから動物生命に進化していったのです。
それは同時に、食欲・性欲のみの低次元精神性から、前頭葉の発達による高次元精神性の向上でもありました。
しかも、人間や動物・植物にはそれぞれ生命が宿っており、お互い単体では生きていけない関係にあります。
一見、敵対関係のようにあっても、この地球上に存在するすべてのものを冷静に観察してみますと、お互いが生かし生かされの関係(相補)で成り立っているのです。
例えば、最近のアニマルセラピーでの飼い主と犬・猫の関係を見ても、お分かりいただけると思います。

また、縦の流れから見れば、人間の親から子・孫へ、動物の親から子・孫へ、植物の親から子・孫へと引き継がれていますが、横の流れから見れば、バクテリア・藻類という生命誕生の親から植物・動物へと進化して人類という子・孫へと引き継がれており、全体的に見れば、万類は、親子・兄弟姉妹の関係にあると言えます。
表面上は相対しているようでも、根底では繋がっているのですから、敵と味方というものの見方・視点は、21世紀は通用しなくなるのです。

 

宇宙本位(コスミカリズム)への大転換

図2に見られるように、人類は横軸である「社会の進化」と、縦軸である「精神の進化」とのバランスの中で、神話本位から宗教本位へ、科学本位から哲学本位へと進化してきました。そして、21世紀は宇宙本位へと進化していかなければなりません。
人間は小さな宇宙と言われます。宇宙全体をマクロコスモスと捉えれば、人間は宇宙を集約したミクロコスモスと言えるのです。(図3)
地球の営みも私たち人類を含めた全てとの繋がりの中で、絶妙なバランスを極めています。


このような視点から、すべてのものを見ていこうとするのが、宇宙本位(コスミカリズム)なのです。
21世紀は『宇宙を中心』とした社会になるでしょうし、またそのように是が非でもしなければならないのです。
その為には正しい宇宙観・人間観、それが日本人の宇宙観・人間観でもあるのですがそのことを知る必要があります。



 

日本的宇宙観

私たちが心の眼を開いて、素直に世の中を見る時、物みな単なる物でもなければ心だけでもない。いつも物と心が溶け合っています。それであればこそ、一つの具体的なものとして存在し得るのです。
例えば「茶碗」一つにしても、陶土や薬品等の物質的材料と、人の心の中に描かれた図案や労力等の心的な力とが合一して、初めて一つの茶碗としてできあがるのです。それひとつですら、物のいのちと、心のいのちとが融和されているのです。

このように宇宙森羅万象のあらゆる現象も、また、人為的に作り出された品物ですらも、凡そこの世に具体的な姿を持ってあるものは、悉く物心不二―物と心が区別できず溶け合っている―の生命的なものの顕現なのです。
しかも、それらの悉くは、その一つ一つが大いなる命、根源的な力、いわゆる普遍なる大宇宙の霊的なエネルギー(力)で成り立っています。それが後述する『ムスヒエネルギー(94頁参照)』でもあるのです。
そして、そのエネルギーが生き続けていく、その働きの尖端の姿といえるのです。

波に例えて表現するならば、表面にできる波の山の一つ一つは別であっても、それは同一水のものであり、底もまた共通しているので、どの波の一つも他との限りない関連によって、生じていることがうなずかれるのです。
また、山にしても同じです。一つ一つは高さも形も違いますが、どの山裾も同じ土の上に成り立ち、その土は別の山とつながって関連しているのです。
 

日本的人間観

一粒の米にしても、この地球上に現れた最初の米粒は決して人間が創り出してはいないのです。
一滴の水、一粒の米にも、大宇宙の大いなる命(ムスヒ)の恵みがこもり、万人の力が加わっています。
その水を飲み、その米を食べて、今日を生きているのですから、我がこの一瞬の命も、全てが集まって支えられているのです。
この世に現れている全てのものは『物のいのち』と『心のいのち』の両方によって成り立ち、そして、そのいのちの根源は同じ源から発し循環しながら生かし合っているのです。

従って、一遍に偏り、他の立場を無視するのでなく、それを排撃したりすることは、大自然の大調和の摂理に背くことになり、やがて自滅の道となるのです。
お互いが心を開いて謙虚になり、他のものから自分に適切なものを摂取し、限りなく向上しつつ、全体の為に生かし合っていくところに、各々が生きる道があり、それがそのまま天地自然の大調和に融和することになるのです。
 

日本的宇宙観人間観

日本的宇宙観人間観とは、大宇宙の生命を両面から見る、つまり、全体の中に一つを見る側面と一つの中に全体を見る、さらに全体と一部を融和させる・・・・人間の身体で説明するならば、胴体だけがあっても、手や足、目や耳がなければ役立たないし、逆に手や足、目や耳だけではだめで、胴体があってこそ生きられる。
手や足・目・耳は個々ではそれぞれ自分の役目を果たしながら全身を生かしている。
全身も又、全身としての役割を果たしながら手や足・目・耳と繋がっており生かしている。
人間だけでなく、宇宙の生命のすべてが相補の関係で融和し、お互いを生かし合いながら循環して、全体を生かしているのです。

私たちは宇宙という言葉をよく聞き、使ったりしますが、

と中国の古書『斉俗訓』に記されていることから宇宙なる名が出たとのことです。
それは『無限の広がりをもち、永遠に生き続けるもの』、すなわち宇宙森羅万象を内に容れて、いつまでも生き続けている何ものかであります。
このような大宇宙生命の働きそのものを捉えて生きようとするのが、日本的宇宙観人間観なのです。
私たちは自らを素直に打ち開いて宇宙に溶け込み、その息吹を内に感じ、そのいのちを我が身に体感してこそ、初めて大宇宙の真理を知ることができるのです。

産業社会から情報化社会へと移り変わるなかで、その中心であった欧米文明は、宇宙観は唯物主義、人間観は人間中心の個我実有主義を基盤に栄えてきました。その結果、人類に未曾有の難問を山積みしてしまったのです。
私たちは、宇宙の真理を知り、人間の生きる目的に目覚めて立ちあがる時なのです。
  そして、物質的な物のいのちと精神的ないのちとの両者をむすび、すべてを循環させて生かすことこそ、万物の霊長である人間の生きる目的であり、宇宙の大いなる普遍のいのちの連続性の尖端にある、私たちの役割そのものなのです。

今こそ、宇宙そのものの永遠なる生命に目覚め、人間本位(人間中心)の社会から、普遍の宇宙本位(コスミカリズム中心)の宇宙社会を建設することこそ、21世紀が破滅の危機から救われるのです。

 
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