TOP > 始の章 > 第5章 現代社会の12の不安


第2章 人類の歴史に見る社会情勢の変化
 
前にも述べましたが、近代を創った唯物論哲学・科学に基づいた欧米文明は、素晴らしい物質文明社会を創り上げました。

一歩外に出れば陸に車、海に船、空には飛行機が飛び交い、地球の上空はおろか星の世界へまで行けるようになりました。
通信網は有線無線を問わず網の如く張りめぐらされ、遠くの人とも眼の前にいるように話せますし、世界の出来事も一瞬にして知ることができます。
家に入れば電気・ガスの機器が整っており、ボタン一つ押せばものごとが思うようになります。
しかも、今注目をあびているIT(情報技術)の進化は、既存のすべての枠組みを崩壊せしめ、今まで考えられなかった社会の到来すら予感させられます。

その反面、負の難問が山積して います。 
政治・社会・青少年問題・離婚の急増・出生率の低下・年金問題・公害環境問題・高齢化問題・国際紛争・経済摩擦・エイズ等難病奇病の増加・教育問題・外国人労働者問題、また犯罪も非常に残虐さを増しています。

21世紀は始まったばかりですが、これらの不安をいくつか拾いあげて分析してみましょう。
 

(1)国際不安

個人の自由を尊重し、経済的にも物欲を思う存分のばして、その満足と幸福を理想とするアメリカを中心とした資本主義思想。 
それに対し、すべてを国家の公営とし個人を社会に奉仕させ、全体としての幸福を追求しようとするソビエトを中心とした共産社会主義思想が世界を二分して、隙あらば他を征服して自分陣営にしてしまおうと、虚々実々の謀略を戦わせていたのが、最近までの世界情勢でした。
ところが、1989年の東欧の大革命をキッカケに、ソビエトまでもが共産社会主義思想の大転換を始めました。

今、世界は、アメリカの強引とも言える国家権力を中心とした、グローバリゼーションが吹き荒れており、それに対抗する形でロシアも徐々に復活しつつあり、中国の急激な台頭や、その同盟国の観さえある北朝鮮の動向は目を離せない状況にあります。
又、イラクやアフガニスタンの戦後処理も手間取っており、イラン情勢にも気を抜くことはできません。ごく最近では、タイでクーデターが起こり、軍部が政権を握り、南米ベネズエラでも不穏な動きがあったりと、世界各地で国際不安は増しつつあります。
 

(2)社会不安

これは人間の本質を見失ったところからくる不安というもので、物質文明が進み、機械が人間にとって代わるようになって自然と生じてきたものです。
はじめは自分の生活の便利さから機械を造った人間が、やがて機械に使われるようになり、組織を組み立てた人間が、組織の下敷きになってしまいました。
人間がいつしか機械の部品となり、組織の単細胞となって自分の主体性を見失い、心のあり場がわからなくなってしまった不安です。
 

古き大スターであるチャップリンが演じて大ヒットした『機械と人間』という小説の中で、工場というマンモスのような怪物が朝になると「腹が減った」とサイレンでうなりをあげる。
そうすると、たちまち鉄の扉がパッと口を開け、たくさんの生きのよい労働者が群れをなして、ぞくぞく吸い込まれ食われていく。
夕方になるとこれらの労働者は精も根もつき、疲れ果てて鉄の口から排出される。
マンモス工場の怪物の腹の中では、すべてが流れ作業で、労働者は機械的な騒音を立てつつベルトに乗って流れてくる品物に、千編一律に手を動かしているだけである。時間は正確に、寸分の油断も許されない。 
朝から晩まで、機械的に同じ作業を繰り返すだけで、全く機械の部品になってしまっている。夕方になり、ベルトが止まっても労働者は、その動作を時計の振子のように繰り返しながら気が狂って出ていった、という内容の小説で、まことに今の時代を予言しておりました。

経済第一主義・効率第一主義からくる重圧が、職場放棄・ノイローゼ・人間不信を増大させ、その反動からくる犯罪の増加と残虐性が目立っています。社会全体がストレス状態になりイライラしています。 
いつ暴動的なことが起こるとも限らない、危険な状態になりつつあります。
 

(3)教育の不安

学校教育においても、マンモス化し機械化した講義。誤ったゆとり教育や平等主義が、教育低下を急速にし、しかも学生各々の個性も意志も無視した単なる就職への踏み台になってしまい、受験産業化しています。
そのような学校組織に対する学生たちのやり場のない憤りと反抗、そして、登校拒否の増加と共に家庭内暴力・非行への芽を間接的に育てるような危険性すらあります。
教師も親の理解不足・協力不足や圧力等による自信喪失からくる事なかれ主義になっています。
すべての教師がそうだといっているのではありませんが、情熱的な教師ほど、親・学校組織・学生との狭間で苦しんでいます。

戦のなくなった平和な江戸時代、武士達は私塾を開き、武士道精神による生活の中の心身教育、読み書きソロバンを教えたりして、教育水準を向上させました。
師と弟子の関係を大切にし、教える者と教えられる者との心が一 つになっていました。そのような教育環境はどこにいってしまったのでしょうか。
教育の中にも効率主義が導入され、知・情・意・知育・徳育・体育と掲げながらも知識教育に偏っているように思えてなりません。


子供までもが、損得でものごとを判断していたり、犯罪をも引き起こしています。友情・思いやり・協調性・物を大切にする心は失われ、果ては生命(いのち)までも簡単に捨ててしまいます。
世界的に教育レベルが高く優秀だったのに、このような子供に誰がしてしまったのでしょうか。
 
『その国の将来を見るには、若者たちを見ればよい』と言われています。今の日本の子供たちの姿の中に、日本の将来への期待がかけられるでしょうか。
すべては教育にかかっているのです。その教育に不安があります。
特に、受験産業の下請け的な、過度の商業主義的に見える大手学習塾の越権とも思える経営姿勢や、文部科学省と日教組との永年の争いは、教育現場を混乱させ、子供たちはその犠牲になっています。
 

(4)家庭の不安

戦後の日本の家庭に特に目立ってきた現象です。とにかく人間関係の様相がすっかり変わりました。
戦前までは倫理・道徳が大切にされ、道の文化といわれるくらい、茶道・華道・剣道・柔道・商道、それぞれの分野で自己完成の道が説かれました。一方では『恩』という心あたたまる情操が、人と人との間柄を結ぶ、自ずからなる徳として培われてきましたが、戦後、権利と義務というものに置き換えられて、親子の断絶を生み、親と子は別居するのが当たり前になり、年老いてくる親に不安と淋しさがつきまとっているのです。 

夫婦関係にしても、夫婦生活の真の意味も知らず、恋愛感情によって結婚してみたが、夢や理想が崩れると簡単に離婚してしまう。「成田離婚」なる流行語まで生んでしまっています。

また、家庭とは名ばかりで、朝から晩まで通勤・仕事に追われ、夫婦・親子の団らん等、夢物語になりつつあります。
家族と一緒に食事をするのは月に限られるほどしかなく、子供とは寝顔で対面するのがほとんどで妻に任せっぱなし。そんな生活だから、子供との絆も薄くなり、定年に近づくにつれて、家族の中で孤独を感じるようになり、自分の人生について・子供について・社会のゆく末について真剣に考えはじめたら、不安でいっぱいになる。
家庭の中が、親は親で忙しく、子供は子供で、宿題や試験に追われ、自然の中を友達とかけまわったり、遊んだり、冒険を楽しんだりする余裕もなく、学校の管理と受験戦争にあえいでいます。

家族がバラバラに引き離され、夫の暴力、子供の虐待、30万円で親を殺すなど、一昔前迄は考えられなかった親子間の事件が増加し、家庭の本当の味を奪い去ってしまっているのです。
若者たちの間で広がっている渋谷家族・インターネットによる第3の家族、という新しい家族スタイルも生まれつつあります。
 
 

(5)生命の不安

昔は、野菜は腐っても人間は腐りませんでしたが、現代は、野菜は腐らなくなりましたが、人間が腐ってしまう。

農薬による人体への悪影響・防腐剤・添加物・加工食品による繊維素の不足・ハウス栽培・冷凍食品による栄養価の低下・肉食による諸病の増加・野菜食の不足による子供たちの病気・カルシウム不足によるイライラ、私たちの身のまわりは物質的に豊かになっても、生命をおびやかされるような事が蔓延しています。またエイズ、鳥インフルエンザ、狂牛病等難病奇病が増加しています。

日本の自然を生かした木造建築は少なくなり、コンクリート住宅が増えたため、室内の湿気の吸収率からくるカビや、風通しの悪さが重なって家ダニの増加、また、加工新建材から微妙に出ている放射性物質等々。

時間に追いまくられて、自分を取り戻す暇がなく、健康管理の不足から現代医学の最高技術ですら治せない難病が続出しています。 また、生活習慣病だけでなく肩コリや高血圧等の症状が、子供にまで浸透する傾向にあります。

母親の安易な飲酒や喫煙、性生活の乱れからくる奇形児出産の増加。世界中で猛威をふるっているエイズの増加。世界一の長寿国になりながら、世界一の自殺国となっています。

何ものにもまして大切な『生命』という財産のいかに価値の低いことか。若いからといって安心できない我が命。決して他人事と思えなくなっています。
特に環境ホルモンは、深刻な問題になりつつあり、現代ほど生命の不安な時代はないのです。
 

(6)経済の不安

日本経済は、1989年のバブル崩壊の「失われた10年」からようやく立ち直り、景気が回復しつつありますが、勝者は正義という市場経済主義を中心とした世界的競争時代に突入し、勝者と負者が二極化して、ますます貧富の差が広がろうとしています。

国内に目を向けてみても、貧富の少ない理想的経済システムを築きあげた一億総中流社会は、徐々に崩壊しつつあります。欧米諸国から、「ウサギ小屋に住んでいる」という悪口をたたかれる日本の大半の人たちの生活は、実質的には、決して経済的に安定しているとは思えません。

世界の一流品といわれるブランド商品を普通のように身につけている人々。毎日の贅沢な食事と残飯の山。粗大ゴミ捨て場の家具や電気製品。
そんな日常生活を見ますと、金持ちの国のような気がしますが、ひとたび病気にでもなれば早速生活に困るし、地価の高騰は住宅取得をますます困難なものにしています。
むしろ「文化的生活」という言葉に惑わされて、生活水準は中流でも将来の保証という内容になると、はなはだ不安なのです。


一万円札の使いでのないこと。安易に買い、安易に捨てる。若者たちを含め「自己破産」の急激な増加、クレジットやローンの便利さが、物を大切に扱う心や、辛抱する心を奪い去ってしまいました。財布の中にカードの数が増えれば増えるほど、借金も増えていきます。
夫婦共稼ぎをして、自分の命をすり減らして必死に働いても、なぜかお金が足りない不安にかられる現代社会になっているのです。
 

(7)精神の不安

余程の事がない限り、多くの人は物質的に不自由することはありませんが、毎日の生活をふり返れば、殺人ラッシュアワーの電車やバスに積み残されないよう、他人を押しのけてでも乗らねばならない勤労者や学生たちは、片道一時間半など超満員の車内で立ちつくして通勤・通学しなければなりません。

常に時間に追われ、効率主義の犠牲になって、緊張感からたまるストレスは、精神的不安定を引き起こし、心臓病や胃腸病の原因となっています。
また、情報量の驚異的な増加によって、人々は何をどのように選択してよいか混乱し、ノイローゼや精神病の多発となっています。


子供たちも現代社会の矛盾や受験戦争の狭間で苦しみ、精神的圧迫感は登校拒否・いじめ・自殺・ニート・ひきこもりとして現象にあらわれ、犠牲になっています。
 

(8)文化の不安

毎日毎日豊かさという幻影に惑わされて、働け働け、急げ急げ、効率効率、すべてスピードが優先されて、自分の時間がなくなり、休養・睡眠も十分でなく、また、趣味を持ったり、教養を高める習いごともなかなかできず、その日その日の生活に追われています。 
人間のしあわせとは物と心の調和がとれてこそ感じられるのに、物質面の豊かさのみ追い求め、その結果、心の豊かさという大切なものを失ってしまっています。
スローライフという言葉も最近は聞かれるようになりましたが、実態はその逆方向に進みつつあります。
 

(9)司法・警察制度の不安

国の教育レベルが向上するに従って、暴力・利己主義・犯罪が減少すると考えられていたのに反し、実際にはむしろ増大し、司法・警察の統制がより以上に必要となり、拡大強化される傾向にあります。

これは、かつての戦時下における、必要以上の国家権力の乱用と同じ状況を生む心配があり、人間の心や倫理・道徳的な分野まで、その権力が行使されてしまうと、自由な発想や行動というものが制限されて、かえって社会の混乱に拍車をかける心配があります。  産業においても、必要以上の規制は、産業の正常なる発展を妨げる危険性があります。
しかし、過度の規制緩和は弱肉強食の社会を生みだし、結果として落ちこぼれた者は、裏経済の道を歩んだり、詐欺・騙しの悪質事件を起こしています。

どんなに統制を拡大して権力を行使しても、人間の心の持ち方や、生き方の姿勢が変わらない限り、無意味なものとなってしまいます。
必要以上の国家権力の介入は、かえって社会や人々を不安にしかねません。それよりも、人間そのものの再教育が大切だと思います。
 

(10)マスコミの不安

現在ほどマスコミの影響力の強い時代はなく、21世紀はある意味ではマスコミ時代と言っても過言ではないでしょう。
情報技術は飛躍的に進歩し、アラジンの魔法のランプの如く、何事も可能にしてしまうように見えますが、一歩まちがえば一人の人間など、一瞬にして社会的に抹消してしまいかねないのです。まさに諸刃の剣の如くです。
スポンサーという存在と視聴率という圧力が、ともすると報道の自由を奪ってしまい、歪曲された偏った報道になりかねません。

また、番組編成も視聴率をねらった内容であったり、心理学者アブラハム・マズロー的表現をするなら、人間の低次元の欲求といわれている生理的欲求(食欲・愛欲等)番組が多く、倫理性や社会性や尊厳性のある番組が、少なくなっているのではないでしょうか。

『マスコミの暗黙の暴力』等と心ある知識人は警鐘を鳴らされていますが、マスコミの不安はあらゆる分野において、社会に大きな波紋を投げかけています。
 

(11)政治の不安

国民の政治に対する不安がますます高まる傾向にあります。国家の方向性を舵取る政治家が、自分の私利私欲に走るようでは、国民の政治不安を招くのも当たり前であります。与野党共に真剣に日本の将来を考えての政策こそ、今一番求められているのです。
国民不在の政治を続けるようでは、また、投票率が50%以下になるようであれば、非常に危険な状態になります。国民の不安をねらって諸々の日本国破滅のシナリオが秘密裏に進められることになりかねないからです。

何事もそうでありますが、ものごとが崩壊する原因は外部にあるのではなく、内部にあるのです。
特に政治というものは、その国の将来を運命づけていくのですから、政治家は日本丸の舵取りをする重大な役割を任されているのです。

党利党略を超えて、日本の未来を創造し得る政治家の出現が今ほど望まれている時はないのです。 政治に不安があるということは、日本という国家に不安があるということと同じです。
 

(12)菩提心の不安

何世紀もの間、大和民族といわれる日本人の精神土壌を支え、気持ちを奮いたたせてきた宗教は衰え、宗教自体が魅力を失ってしまいました。
というよりも、日本人の宗教離れは、意図的な策略によって仕組まれていることに、ほとんどの人は気づいていません。
今、何よりも不安なのはこのことなのです。人間に本質的・本能的に内在している宗教心が失われつつあるということです。

特定の教祖や教団を妄信するのではなく、生命のルーツである御先祖を大切にする心、手を合わせる感謝の気持ち、生命あるものを大切にしようとする心、他者を思いやる心、お互いが協力し生かし合う心、落ちこぼれを出さずに皆で助け合って生きてきた村の文化といわれる伝統、このような日本古来からの伝統的精神土壌はどこにいってしまったのでしょうか。

詳しくは、『承の章』を参照していただきたいのですが、日本民族は八百万神といって、木や石や山やあらゆるものがムスヒ(神)の分霊であり、それぞれは有形無形に繋がって、相補の関係で生かし合っていることをテレパシー(感応)的に感じていたのです。
そして生活のすべてを自然と共生させる中から、自然とムスヒ(融和)の精神土壌をつくりあげてきたのです。
それが、『侘び・寂び』や『間』の文化を育み、日本独特の『道』の法則をつくりだしたのです。
こうした伝統的精神土壌の基盤の上に戦後の日本の成功があり、世界一といわれた治安があったのですが、それを捨て去っているのです。

仏教でいうところの菩提心の喪失が日本の将来を駄目にしようとしています。


以上、私たちの身近なところで起こっている『現代社会の12の不安』を考えてみる時、繁栄の極みに達した現代の文明社会の中で、人々は幸福と成功を手に入れた代償として、結局はそれとは逆の恐れと不安に満ちています。全くもって皮肉的であり、誰がこのような結果を予測したでしょうか。
特に、戦後を境に、明治維新以降の欧米文明の影響力とGHQの戦後処理とによって、縄文時代より築きあげてきた文明・文化などの伝統・伝承をなくしていったことが、これらの不安にも大きく関わっているのです。
 
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